読み込み中

翻訳【15】

ウンナーバ婆羅門の経

サーヴァッティーの因縁となります。そこで、まさに、ウンナーバ婆羅門が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ウンナーバ婆羅門は、世尊に、こう言いました。

「貴君ゴータマよ、五つのものがあります。これらの機能は、種々なる境域があり、種々なる境涯があり、互いに他の境域と境涯を経験しません。どのようなものが、五つのものなのですか。眼の機能であり、耳の機能であり、鼻の機能であり、舌の機能であり、身の機能です。貴君ゴータマよ、いったい、まさに、これらの五つの機能が、種々なる境域があり、種々なる境涯があり、互いに他の境域と境涯を経験せずにいるとして、何が、〔それらの〕帰依所となり、そして、何が、それらの境域と境涯を経験するのですか」と。

「婆羅門よ、五つのものがあります。これらの機能は、種々なる境域があり、種々なる境涯があり、互いに他の境域と境涯を経験しません。どのようなものが、五つのものなのですか。眼の機能であり、耳の機能であり、鼻の機能であり、舌の機能であり、身の機能です。婆羅門よ、まさに、これらの五つの機能が、種々なる境域があり、種々なる境涯があり、互いに他の境域と境涯を経験せずにいるとして、意が、〔それらの〕帰依所となり、まさしく、意が、それらの境域と境涯を経験します」と。

「貴君ゴータマよ、また、何が、意の帰依所となるのですか」と。「婆羅門よ、まさに、気づきが、意の帰依所となります」と。「貴君ゴータマよ、また、何が、気づきの帰依所となるのですか」と。「婆羅門よ、まさに、解脱が、気づきの帰依所となります」と。「貴君ゴータマよ、また、何が、解脱の帰依所となるのですか」と。「婆羅門よ、まさに、涅槃が、解脱の帰依所となります」と。「貴君ゴータマよ、また、何が、涅槃の帰依所となるのですか」と。「婆羅門よ、〔あなたは〕問い〔の限度〕を超え行きました。〔あなたは〕問いの最極を収め取ることができませんでした。婆羅門よ、なぜなら、梵行は、涅槃への沈潜であり、涅槃を行き着く所として、涅槃を結末として、住されるからです」と。

そこで、まさに、ウンナーバ婆羅門は、世尊の語ったことを大いに喜んで、随喜して、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、立ち去りました。

そこで、まさに、世尊は、ウンナーバ婆羅門が立ち去ったすぐあと、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、それは、たとえば、また、あるいは、楼閣に、あるいは、楼閣堂に、東の窓から、太陽が昇りつつあるとき、光が、窓から入って〔そののち〕、どこに存し、止住しているでしょうか」と。「尊き方よ、西の壁において」と。「比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ウンナーバ婆羅門の、如来にたいする信は、固着し、根元から生じ、確立し、堅固で、あるいは、沙門によって、あるいは、婆羅門によって、あるいは、天〔の神〕によって、あるいは、悪魔によって、あるいは、梵〔天〕によって、あるいは、世において、誰であれ、動かしようがありません。比丘たちよ、もし、ウンナーバ婆羅門が、この時点において、命を終えるなら、その束縛するものによって束縛されたウンナーバ婆羅門が、ふたたびこの世に帰り来ることになる、〔まさに〕その、束縛するものは存在しません」と。〔以上が〕第二となる。

注釈【1】