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翻訳【19】

第一の果の経

「比丘たちよ、呼吸についての気づきが、修められ、多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成ります〕。比丘たちよ、では、どのように、呼吸についての気づきが修められ、どのように多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成るのですか〕。比丘たちよ、ここに、比丘が、あるいは、林に赴き、あるいは、木の根元に赴き、あるいは、空家に赴き、〔瞑想のために〕坐ります⸺結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて。彼は、まさしく、気づきある者として出息し、まさしく、気づきある者として入息します。……略……。『〔わたしは〕放棄の随観ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕放棄の随観ある者として、入息するのだ』と学びます。比丘たちよ、このように、まさに、呼吸についての気づきが修められ、このように多く為されたなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成ります〕。比丘たちよ、このように、まさに、呼吸についての気づきが修められ、このように多く為されたとき、二つの果のなかのどちらか一つの果が期待できます。まさしく、所見の法(現世)における了知であり、あるいは、〔生存の〕依り所という残りものが存しているなら、不還たることです」と。〔以上が〕第四となる。

注釈【0】