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翻訳【20】

ヴェーサーリーの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ヴェーサーリーに住んでおられます。マハー林の楼閣堂において。また、まさに、その時点にあって、世尊は、比丘たちに、無数の教相をもって、不浄の講話を話し、不浄の栄誉を語り、不浄の修行の栄誉を語ります。

そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、わたしは求めます⸺半月のあいだ、静坐することを。〔わたしは〕存します⸺食事を運ぶ一者より他に、誰であれ近づくことなき者として」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、まさに、ここに、食事を運ぶ一者より他に、誰であれ、世尊のもとに近づいて行きません。

そこで、まさに、それらの比丘たちは、「世尊は、無数の教相をもって、不浄の講話を話し、不浄の栄誉を語り、不浄の修行の栄誉を語る」と、無数の行相と区別ある不浄の修行への専念〔努力〕に専念する者たちとして〔世に〕住みます。彼らは、この身体〔の観点〕によって、苦悩し、自責し、忌避しながら、刃を持つ者(殺害者)を遍く探し求めます。或る日には、十者であろうが、比丘たちは刃を持ち、或る日には、二十者であろうが……略……或る日には、三十者であろうが、比丘たちは刃を持ちます(自死する)

そこで、まさに、世尊は、その半月が経過して、静坐から出起し、尊者アーナンダに告げました。「アーナンダよ、いったい、まさに、どうして、虚弱者と成ったかのように、比丘の僧団はあるのですか」と。「尊き方よ、また、なぜなら、そのように、〔彼らは〕『世尊は、無数の教相をもって、不浄の講話を話し、不浄の栄誉を語り、不浄の修行の栄誉を語る』と、無数の行相と区別ある不浄の修行への専念〔努力〕に専念する者たちとして〔世に〕住むからです。彼らは、この身体〔の観点〕によって、苦悩し、自責し、忌避しながら、刃を持つ者を遍く探し求めます。或る日には、十者であろうが、比丘たちは刃を持ち、或る日には、二十者であろうが……略……或る日には、三十者であろうが、比丘たちは刃を持ちます。尊き方よ、どうか、世尊は、他の教相を告げ知らせたまえ。すなわち、この比丘の僧団が、了知において確立するように」と。

「アーナンダよ、まさに、それでは、すなわち、ヴェーサーリーに近しく依拠して〔世に〕住む、あるかぎりの比丘たちの、彼らの全てを集会所に集めなさい」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者アーナンダは、世尊に答えて、すなわち、ヴェーサーリーに依拠して〔世に〕住む、あるかぎりの比丘たちの、彼らの全てを集会所に集めて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、集まりました⸺比丘の僧団が。尊き方よ、今が、そのための時と、世尊がお思いになるのなら〔思いのままに〕」と。

そこで、まさに、世尊は、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、まさに、この、呼吸についての気づきという禅定もまた、修められ、多く為されたなら、まさしく、そして、寂静となり、かつまた、精妙となり、かつまた、無雑となり、かつまた、安楽の住となり、さらに、生起しては生起する諸々の悪しき善ならざる法(性質)を、即座に消没させ、寂止させます。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、〔四つの〕〔の月〕の最後の月に、巻き上げられた塵と埃を、まさしく、ただちに、時ならざる大いなる雨雲が、即座に消没させ、寂止させるように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、呼吸についての気づきという禅定が、修められ、多く為されたなら、まさしく、そして、寂静となり、かつまた、精妙となり、かつまた、無雑となり、かつまた、安楽の住となり、さらに、生起しては生起する諸々の悪しき善ならざる法(性質)を、即座に消没させ、寂止させます。比丘たちよ、では、どのように、呼吸についての気づきという禅定が修められ、どのように多く為されたなら、まさしく、そして、寂静となり、かつまた、精妙となり、かつまた、無雑となり、かつまた、安楽の住となり、さらに、生起しては生起する諸々の悪しき善ならざる法(性質)を、即座に消没させ、寂止させるのですか。

比丘たちよ、ここに、比丘が、あるいは、林に赴き、あるいは、木の根元に赴き、あるいは、空家に赴き、〔瞑想のために〕坐ります⸺結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて。彼は、まさしく、気づきある者として出息し、まさしく、気づきある者として入息します。……略……。『〔わたしは〕放棄の随観ある者として、出息するのだ』と学び、『〔わたしは〕放棄の随観ある者として、入息するのだ』と学びます。比丘たちよ、このように、まさに、呼吸についての気づきという禅定が修められ、このように多く為されたなら、まさしく、そして、寂静となり、かつまた、精妙となり、かつまた、無雑となり、かつまた、安楽の住となり、さらに、生起しては生起する諸々の悪しき善ならざる法(性質)を、即座に消没させ、寂止させます」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【1】