カピラヴァットゥの因縁となります。また、まさに、その時点にあって、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終えた者と成ります。彼は、世尊によって授記されました。「預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である」と。そこで、まさに、大勢の釈迦〔族〕の者たちが、群集して、集いあつまって、譴責し、憤慨し、文句を言います。「ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。ここにおいて、今や、誰が、預流たる者と成らないというのだろう。なぜなら、そこで、まさに、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終え、彼が、世尊によって授記されたからだ。『預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である』と。釈迦〔族〕のサラナーニは、学びの挫折を惹起し、酒を飲んでいたのに」と。
そこで、まさに、釈迦〔族〕のマハー・ナーマが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、釈迦〔族〕のマハー・ナーマは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、ここに、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終え、彼は、世尊によって授記されました。『預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である』と。尊き方よ、そこで、まさに、大勢の釈迦〔族〕の者たちが、群集して、集いあつまって、譴責し、憤慨し、文句を言います。『ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。ここにおいて、今や、誰が、預流たる者と成らないというのだろう。なぜなら、そこで、まさに、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終え、彼が、世尊によって授記されたからだ。「預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である」と。釈迦〔族〕のサラナーニは、学びの挫折を惹起し、酒を飲んでいたのに』」と。
「マハー・ナーマよ、すなわち、その者が、長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者であるなら、彼が、どうして、堕所に赴くというのでしょう。マハー・ナーマよ、まさに、すなわち、その者のことを、『長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者である』と、正しく説きつつ説くなら、釈迦〔族〕のサラナーニのことを、『長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者である』と、正しく説きつつ説くべきです。マハー・ナーマよ、釈迦〔族〕のサラナーニは、長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者です。彼が、どうして、堕所に赴くというのでしょう。
マハー・ナーマよ、ここに、一部の人は、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。敏速なる智慧ある者であり、疾走する智慧ある者であり、そして、解脱を具備した者です。彼は、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。
マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。敏速なる智慧ある者であり、疾走する智慧ある者であり、しかしながら、解脱を具備した者ではありません。彼は、五つの下なる域に束縛するものの完全なる滅尽あることから、化生の者と成り、そこにおいて、完全なる涅槃に到達する者と〔成り〕、その世から戻り来る法(性質)なき者と〔成ります〕。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。
マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。彼は、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、貪欲と憤怒と迷妄の希薄なることから、一来たる者と成り、一度だけ、この世に帰り来て、苦しみの終極を為します。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。
マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。彼は、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、預流たる者と成り、堕所の法(性質)なき者と〔成り〕、決定の者と〔成り〕、正覚を行き着く所とする者と〔成ります〕。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。
マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、まさしく、まさに、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有りません。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……〔世に〕有りません。僧団にたいする……略……〔世に〕有りません。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。しかしながら、また、彼には、これらの法(性質)が⸺信の機能が、精進の機能が、気づきの機能が、禅定の機能が、智慧の機能が⸺有ります。そして、彼には、如来によって知らされた諸々の法(教え)が、智慧によって、適量に納得があり受認されます。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄に赴かない者であり、畜生の胎に赴かない者であり、餓鬼の境域に赴かない者であり、悪所と悪趣と堕所に赴かない者です。
マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、まさしく、まさに、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有りません。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……〔世に〕有りません。僧団にたいする……略……〔世に〕有りません。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。しかしながら、また、彼には、これらの法(性質)が⸺信の機能が……略……智慧の機能が⸺有ります。そして、彼には、如来にたいする、信のみが有り、愛情のみが〔有ります〕。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄に赴かない者であり、畜生の胎に赴かない者であり、餓鬼の境域に赴かない者であり、悪所と悪趣と堕所に赴かない者です。マハー・ナーマよ、もし、また、これらの大家たちが、善く語られたものと悪しく語られたものを了知するなら、そして、わたしは、これらの大家たちを授記するでしょう。『預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である』と。また、ましてや、釈迦〔族〕のサラナーニにおいては、なおさらのこと。マハー・ナーマよ、釈迦〔族〕のサラナーニは、死の時において、学びを受持しました」と。〔以上が〕第四となる。
注釈【1】
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