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翻訳【15】

第二の釈迦〔族〕のサラナーニの経

カピラヴァットゥの因縁となります。また、まさに、その時点にあって、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終えた者と成ります。彼は、世尊によって授記されました。「預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である」と。そこで、まさに、大勢の釈迦〔族〕の者たちが、群集して、集いあつまって、譴責し、憤慨し、文句を言います。「ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。ここにおいて、今や、誰が、預流たる者と成らないというのだろう。なぜなら、そこで、まさに、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終え、彼が、世尊によって授記されたからだ。『預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である』と。釈迦〔族〕のサラナーニは、学びにおける円満成就を為さない者として〔世に〕有ったのに」と。そこで、まさに、釈迦〔族〕のマハー・ナーマが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、釈迦〔族〕のマハー・ナーマは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、ここに、釈迦〔族〕のサラナーニが、命を終え、彼は、世尊によって授記されました。『預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である』と。尊き方よ、そこで、まさに、大勢の釈迦〔族〕の者たちが、群集して、集いあつまって、譴責し、憤慨し、文句を言います。『ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。ここにおいて、今や、誰が、預流たる者と成らないというのだろう。なぜなら、そこで、まさに、釈迦〔族〕のサラナーニが命を終え、彼が、世尊によって授記されたからだ。「預流たる者であり、堕所の法(性質)なき者であり、決定の者であり、正覚を行き着く所とする者である」と。釈迦〔族〕のサラナーニは、学びにおける円満成就を為さない者として〔世に〕有ったのに』」と。

「マハー・ナーマよ、すなわち、その者が、長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者であるなら、彼が、どうして、堕所に赴くというのでしょう。マハー・ナーマよ、まさに、すなわち、その者のことを、『長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者である』と、正しく説きつつ説くなら、釈迦〔族〕のサラナーニのことを、『長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者である』と、正しく説きつつ説くべきです。マハー・ナーマよ、釈迦〔族〕のサラナーニは、長夜にわたり、在俗信者として、覚者を帰依所に赴き、法(教え)を帰依所に赴き、僧団を帰依所に赴いた者です。彼が、どうして、堕所に赴くというのでしょう。

マハー・ナーマよ、ここに、一部の人は、覚者にたいし、一向に赴いた者として、大いに清信した者として、〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいし……略……。僧団にたいし……略……。敏速なる智慧ある者であり、疾走する智慧ある者であり、そして、解脱を具備した者です。彼は、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。

マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、覚者にたいし、一向に赴いた者として、大いに清信した者として、〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいし……略……。僧団にたいし……略……。敏速なる智慧ある者であり、疾走する智慧ある者であり、しかしながら、解脱を具備した者ではありません。彼は、五つの下なる域に束縛するものの完全なる滅尽あることから、〔天に再生して寿命の〕中途において完全なる涅槃に到達する者と成ります。再生して〔寿命の後半に〕完全なる涅槃に到達する者と成ります。形成〔作用〕なく(意志的努力をせずに)完全なる涅槃に到達する者と成ります。形成〔作用〕を有し(意志的努力をして)完全なる涅槃に到達する者と成ります。上なる流れの色究竟〔天〕に赴く者と成ります。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。

マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、覚者にたいし、一向に赴いた者として、大いに清信した者として、〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいし……略……。僧団にたいし……略……。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。彼は、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、貪欲と憤怒と迷妄の希薄なることから、一来たる者と成り、一度だけ、この世に帰り来て、苦しみの終極を為します。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。

マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、覚者にたいし、一向に赴いた者として、大いに清信した者として、〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいし……略……。僧団にたいし……略……。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。彼は、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、預流たる者と成り、堕所の法(性質)なき者と〔成り〕、決定の者と〔成り〕、正覚を行き着く所とする者と〔成ります〕。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄から完全に解き放たれ、畜生の胎から完全に解き放たれ、餓鬼の境域から完全に解き放たれ、悪所と悪趣と堕所から完全に解き放たれています。

マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、まさしく、まさに、覚者にたいし、一向に赴いた者として、大いに清信した者として、〔世に〕有りません。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいし……略……〔世に〕有りません。僧団にたいし……略……〔世に〕有りません。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。しかしながら、また、彼には、これらの法(性質)が⸺信の機能が……略……智慧の機能が⸺有ります。そして、彼には、如来によって知らされた諸々の法(教え)が、智慧によって、適量に納得があり受認されます。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄に赴かない者であり、畜生の胎に赴かない者であり、餓鬼の境域に赴かない者であり、悪所と悪趣と堕所に赴かない者です。

マハー・ナーマよ、また、ここに、一部の人は、まさしく、まさに、覚者にたいし、一向に赴いた者として、大いに清信した者として、〔世に〕有りません。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいし……略……〔世に〕有りません。僧団にたいし……略……〔世に〕有りません。敏速なる智慧ある者ではなく、疾走する智慧ある者ではなく、さらに、解脱を具備した者でもありません。しかしながら、また、彼には、これらの法(性質)が⸺信の機能が……略……智慧の機能が⸺有ります。そして、彼には、如来にたいする、信のみが有り、愛情のみが〔有ります〕。マハー・ナーマよ、この人もまた、まさに、地獄に赴かない者であり、畜生の胎に赴かない者であり、餓鬼の境域に赴かない者であり、悪所と悪趣と堕所に赴かない者です。

マハー・ナーマよ、それは、たとえば、また、悪しき地にして、木株が引き抜かれていない、悪しき田畑があるとします。そして、破断し、腐敗し、熱風に打破され、しっかりと保管されていない、諸々の未熟ならざる種が存し、さらに、天が正しく流雨を授けないなら、さて、いったい、それらの種は、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「マハー・ナーマよ、まさしく、このように、まさに、ここに、法(教え)が、悪しく告げ知らされ、悪しく説き知らされ、出脱〔の教え〕ではなく、寂止のために等しく転起するものでもなく、正等覚者によって知らされたものでもなく、〔世に〕有ります。わたしは、これを、悪しき田畑〔の喩え〕において説きます。そして、その法(教え)のもと、弟子が、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として、適正の実践者として、法(教え)に従い行く者として、〔世に〕住みます。わたしは、これを、悪しき種〔の喩え〕において説きます。

そして、マハー・ナーマよ、それは、たとえば、また、善き地にして、木株が善く引き抜かれた、善き田畑があるとします。そして、破断せず、腐敗せず、熱風に打破されず、しっかりと保管された、諸々の未熟の種が存し、さらに、天が正しく流雨を授けるなら、さて、いったい、それらの種は、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するでしょうか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕。「マハー・ナーマよ、まさしく、このように、まさに、ここに、法(教え)が、善く告げ知らされ、善く説き知らされ、出脱〔の教え〕として、寂止のために等しく転起するものとして、正等覚者によって知らされたものとして、〔世に〕有ります。わたしは、これを、善き田畑〔の喩え〕において説きます。そして、その法(教え)のもと、弟子が、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として、適正の実践者として、法(教え)に従い行く者として、〔世に〕住みます。わたしは、これを、善き種〔の喩え〕において説きます。また、ましてや、釈迦〔族〕のサラナーニにおいては、なおさらのこと。マハー・ナーマよ、釈迦〔族〕のサラナーニは、死の時において、学びにおける円満成就を為す者として〔世に〕有りました」と。〔以上が〕第五となる。

注釈【1】