サーヴァッティーの因縁となります。また、まさに、その時点にあって、アナータピンディカ家長は、病苦の者となり、苦しみの者となり、激しい病の者となり、〔世に〕有ります。そこで、まさに、アナータピンディカ家長は、或るひとりの下僕に告げました。「さて、下僕よ、さあ、あなたは、尊者アーナンダのおられるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、わたしの言葉でもって、尊者アーナンダの〔両の〕足に、頭をもって敬拝しなさい。『尊き方よ、アナータピンディカ家長は、病苦の者であり、苦しみの者であり、激しい病の者です。彼は、尊者アーナンダの〔両の〕足に、頭をもって敬拝します』と。さらに、このように説きなさい。『尊き方よ、どうか、まさに、尊者アーナンダは、アナータピンディカ家長の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きたまえ⸺慈しみ〔の思い〕を抱いて』」と。
「尊き方よ、わかりました」と、まさに、その下僕は、アナータピンディカ家長に答えて、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者アーナンダを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、その下僕は、尊者アーナンダに、こう言いました。「尊き方よ、アナータピンディカ家長は、病苦の者であり、苦しみの者であり、激しい病の者です。彼は、尊者アーナンダの〔両の〕足に、頭をもって敬拝します。さらに、このように説きます。『尊き方よ、どうか、まさに、尊者アーナンダは、アナータピンディカ家長の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きたまえ⸺慈しみ〔の思い〕を抱いて』」と。まさに、尊者アーナンダは、沈黙の状態をもって承諾しました。
そこで、まさに、尊者アーナンダは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、アナータピンディカ家長の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、尊者アーナンダは、アナータピンディカ家長に、こう言いました。「家長よ、どうでしょう、あなたは、息災ですか。どうでしょう、順調ですか。どうでしょう、諸々の苦痛の感受は、回復しますか、進行しませんか。それらの回復は、覚知されますか⸺進行ではなく」と。「尊き方よ、わたしは、息災ではなく、順調ではありません。わたしの、諸々の激しい苦痛の感受は、進行し、回復しません。それらの進行が覚知されます⸺回復ではなく」と。
「家長よ、四つのものがあります。まさに、〔これらの〕法(性質)を具備した無聞の凡夫には、恐懼が有り、驚愕が有り、未来の死の恐怖が有ります。どのようなものが、四つのものなのですか。家長よ、ここに、無聞の凡夫が、覚者にたいする清信なき〔あり方〕を具備した者として〔世に〕有ります。また、そして、彼が、〔まさに〕その、覚者にたいする清信なき〔あり方〕を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼が有り、驚愕が有り、未来の死の恐怖が有ります。
家長よ、さらに、また、他に、無聞の凡夫が、法(教え)にたいする清信なき〔あり方〕を具備した者として〔世に〕有ります。また、そして、彼が、〔まさに〕その、法(教え)にたいする清信なき〔あり方〕を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼が有り、驚愕が有り、未来の死の恐怖が有ります。
家長よ、さらに、また、他に、無聞の凡夫が、僧団にたいする清信なき〔あり方〕を具備した者として〔世に〕有ります。また、そして、彼が、〔まさに〕その、僧団にたいする清信なき〔あり方〕を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼が有り、驚愕が有り、未来の死の恐怖が有ります。
家長よ、さらに、また、他に、無聞の凡夫が、劣戒の資質を具備した者として〔世に〕有ります。また、そして、彼が、〔まさに〕その、劣戒の資質を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼が有り、驚愕が有り、未来の死の恐怖が有ります。家長よ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した無聞の凡夫には、恐懼が有り、驚愕が有り、未来の死の恐怖が有ります。
家長よ、四つのものがあります。まさに、〔これらの〕法(性質)を具備した有聞の聖なる弟子には、恐懼は有ることなく、驚愕は有ることなく、未来の死の恐怖も有りません。どのようなものが、四つのものなのですか。家長よ、ここに、有聞の聖なる弟子が、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。また、そして、彼が、〔まさに〕その、覚者にたいする確固たる清信を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼は有ることなく、驚愕は有ることなく、未来の死の恐怖も有りません。
家長よ、さらに、また、他に、有聞の聖なる弟子が、法(教え)にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされたものであり……略……識者たちによって各自それぞれに知られるべきものである』と。また、そして、彼が、〔まさに〕その、法(教え)にたいする確固たる清信を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼は有ることなく、驚愕は有ることなく、未来の死の恐怖も有りません。
家長よ、さらに、また、他に、有聞の聖なる弟子が、僧団にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『世尊の弟子の僧団は、善き実践者であり……略……世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑である』と。また、そして、彼が、〔まさに〕その、僧団にたいする確固たる清信を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼は有ることなく、驚愕は有ることなく、未来の死の恐怖も有りません。
家長よ、さらに、また、他に、有聞の聖なる弟子が、聖者たちに愛される諸戒を具備した者として〔世に〕有ります⸺破断ならず……略……禅定を等しく転起させる〔諸戒〕を。また、そして、彼が、〔まさに〕それらの、聖者たちに愛される諸戒を、自己のうちに等しく随観していると、恐懼は有ることなく、驚愕は有ることなく、未来の死の恐怖も有りません。家長よ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した有聞の聖なる弟子には、恐懼は有ることなく、驚愕は有ることなく、未来の死の恐怖も有りません」と。
「尊き方よ、アーナンダよ、わたしは恐れません。どうして、わたしが恐れるというのでしょう。尊き方よ、まさに、わたしは、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。……略……法(教え)にたいする……略……僧団にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『世尊の弟子の僧団は、善き実践者であり……略……世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑である』と。尊き方よ、さらに、すなわち、これらの、在家者の適正なる学びの境処(戒律)が、世尊によって説示されました。それらの何であれ、破断を、自己のうちに等しく随観しません」と。「家長よ、あなたには、諸々の利得があります。家長よ、あなたには、善く得られたものがあります。家長よ、あなたによって、預流果が説き明かされました」と。〔以上が〕第七となる。
注釈【1】
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