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翻訳【16】

マハー・ナーマの経

或る時のことです。世尊は、釈迦〔族〕の者たちのなかに住んでおられます。カピラヴァットゥのニグローダ〔樹〕の林園において。そこで、まさに、釈迦〔族〕のマハー・ナーマが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、釈迦〔族〕のマハー・ナーマは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、いったい、まさに、どのようなことから、在俗信者として〔世に〕有るのですか」と。「マハー・ナーマよ、すなわち、まさに、覚者を帰依所に赴いた者として〔世に〕有り、法(教え)を帰依所に赴いた者として〔世に〕有り、僧団を帰依所に赴いた者として〔世に〕有ることから、マハー・ナーマよ、このことから、まさに、在俗信者として〔世に〕有ります」と。

「尊き方よ、また、どのようなことから、在俗信者は、戒を成就した者として〔世に〕有るのですか」と。「マハー・ナーマよ、すなわち、まさに、在俗信者が、命あるものを殺すことから離間した者として〔世に〕有り、与えられていないものを取ることから離間した者として〔世に〕有り、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ない(邪淫)から離間した者として〔世に〕有り、虚偽を説くことから離間した者として〔世に〕有り、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位から離間した者として〔世に〕有ることから、マハー・ナーマよ、このことから、まさに、在俗信者は、戒を成就した者として〔世に〕有ります」と。

「尊き方よ、また、どのようなことから、在俗信者は、信を成就した者として〔世に〕有るのですか」と。「マハー・ナーマよ、ここに、在俗信者が、信ある者として〔世に〕有り、如来の覚りに信を置きます。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。マハー・ナーマよ、このことから、まさに、在俗信者は、信を成就した者として〔世に〕有ります」と。

「尊き方よ、また、どのようなことから、在俗信者は、施捨を成就した者として〔世に〕有るのですか」と。「マハー・ナーマよ、ここに、在俗信者が、物惜の垢が離れ去った心で家に居住します⸺施捨を解き放ち、〔布施のために〕手を洗い清め、放棄を喜び、乞いに応じ、布施と分与を喜ぶ者として。マハー・ナーマよ、このことから、まさに、在俗信者は、施捨を成就した者として〔世に〕有ります」と。

「尊き方よ、また、どのようなことから、在俗信者は、智慧を成就した者として〔世に〕有るのですか」と。「マハー・ナーマよ、ここに、在俗信者が、智慧ある者として〔世に〕有ります⸺聖なる洞察にして、正しく苦しみの滅尽に至るものである、生成と滅至の智慧を具備した者として。マハー・ナーマよ、このことから、まさに、在俗信者は、智慧を成就した者として〔世に〕有ります」と。〔以上が〕第七となる。

注釈【1】