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翻訳【14】

第一の流れ行くものの経

「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食(動力源・エネルギー)となるものです。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、聖なる弟子が、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。これは、第一の、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となるものです。

比丘たちよ、さらに、また、他に、聖なる弟子が、法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。

比丘たちよ、さらに、また、他に、聖なる弟子が、聖者たちに愛される諸戒を具備した者として〔世に〕有ります⸺破断ならず……略……禅定を等しく転起させる〔諸戒〕を。これは、第四の、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となるものです。比丘たちよ、まさに、これらの四つの、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となるものがあります。

比丘たちよ、まさに、これらの四つの、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となるものを具備した聖なる弟子のばあい、『これなるものが、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となる』と、功徳の量を収め取ることは、為し易きことではなく、そこで、まさに、まさしく、『数えようもなく、量りようもない、大いなる功徳の塊』という名称に至ります。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、あるいは、『これなる〔数〕の、水の升となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、百の水の升となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、千の水の升となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、百千の水の升となる』と、大海にある水の量を収め取ることは、為し易きことではなく、そこで、まさに、まさしく、『数えようもなく、量りようもない、大いなる水の塊』という名称に至るように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、これらの四つの、功徳が流れ行くものを〔具備し〕、善なるものが流れ行くものを具備した、聖なる弟子のばあい、『これなるものが、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となる』と、功徳の量を収め取ることは、為し易きことではなく、そこで、まさに、『数えようもなく、量りようもない、大いなる功徳の塊』という名称に至ります」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。

〔そこで、詩偈に言う〕「大いなる水域にして大いなる流れがある、多くの恐ろしいものがいて諸々の宝の群れの基底となる、無量なる海洋へと、すなわち、諸々の川が、人の衆や群れに慣れ親しまれながら、多々に流れ行き、近しく至るように⸺

このように、食べ物や飲み物や衣を施す人へと、臥具や坐床や敷物の施者へと、〔そのような〕賢者へと、諸々の功徳の流雨は近しく至る。すなわち、諸々の川が、まさしく、水の運び手として、海洋へと〔流れ行く〕ように」と。

〔以上が〕第一となる。

注釈【1】