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翻訳【15】

棟梁たちの経

サーヴァッティーの因縁となります。また、まさに、その時点にあって、大勢の比丘たちが、世尊のために、衣料の〔仕立て〕作業を為します。「三月が経過して、衣料が仕立てられたなら、世尊は、遊行〔の旅〕に出発するであろう」と。また、まさに、その時点にあって、イシダッタとプラーナの棟梁たちが、サードゥカに滞在しています⸺何らかの或る用事があって。まさに、イシダッタとプラーナの棟梁たちは、「どうやら、大勢の比丘たちが、世尊のために、衣料の〔仕立て〕作業を為すらしい。『三月が経過して、衣料が仕立てられたなら、世尊は、遊行〔の旅〕に出発するであろう』」と耳にしました。

そこで、まさに、イシダッタとプラーナの棟梁たちは、道に下僕を立たせました。「さて、下僕よ、すなわち、おまえが、阿羅漢にして正等覚者たる世尊がやってくるのを見るとき、そこで、わたしたちに告げるのだ」と。まさに、その下僕は、二日か三日のあいだ、〔道に〕立ち、世尊が、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、イシダッタとプラーナの棟梁たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、イシダッタとプラーナの棟梁たちに、こう言いました。「尊き方たちよ、彼が、阿羅漢にして正等覚者たる世尊が、この方がやってきます。今が、そのための時と思うのなら〔思いのままに〕」と。

そこで、まさに、イシダッタとプラーナの棟梁たちは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、背後から背後へと、世尊に付き従いました。そこで、まさに、世尊は、道から外れて、或るどこかの木の根元のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。イシダッタとプラーナの棟梁たちは、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、イシダッタとプラーナの棟梁たちは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『サーヴァッティーから、コーサラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『サーヴァッティーから、コーサラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『コーサラ〔国〕から、マッラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『コーサラ〔国〕から、マッラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『マッラ〔国〕から、ヴァッジー〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『マッラ〔国〕から、ヴァッジー〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『ヴァッジー〔国〕から、カーシ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『ヴァッジー〔国〕から、カーシ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『カーシ〔国〕から、マガダ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『カーシ〔国〕から、マガダ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得ないことが有り、失意が有ります。『わたしたちから遠くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『マガダ〔国〕から、カーシ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『マガダ〔国〕から、カーシ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『カーシ〔国〕から、ヴァッジー〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『カーシ〔国〕から、ヴァッジー〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『ヴァッジー〔国〕から、マッラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『ヴァッジー〔国〕から、マッラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『マッラ〔国〕から、コーサラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『マッラ〔国〕から、コーサラ〔国〕に遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊はおられる』と。

尊き方よ、また、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『コーサラ〔国〕から、サーヴァッティーに遊行〔の旅〕へと立ち去るであろう』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊は有るであろう』と。尊き方よ、すなわち、わたしたちが、世尊のことを、『コーサラ〔国〕から、サーヴァッティーに遊行〔の旅〕へと立ち去ったのだ』と聞くとき、その時点において、わたしたちには、わが意を得たことが有り、悦意が有ります。『わたしたちから近くに、世尊はおられる』」と。

「棟梁たちよ、それゆえに、ここに、在家の居住は煩わしく、塵の〔積もる〕道なのです。出家は、〔塵の積もらない〕野外にあります。棟梁たちよ、また、そして、あなたたちにとって、不放逸たるに十分なるものがあります」と。「尊き方よ、まさに、わたしたちには、この煩わしきものより他の煩わしきものが存在します。まさしく、そして、より煩わしきものであり、さらに、より煩わしきものと名づけられたものです」と。「棟梁たちよ、また、どのようなものが、あなたたちにとって、この煩わしきものより他の煩わしきものであり、まさしく、そして、より煩わしきものであり、さらに、より煩わしきものと名づけられたものなのですか」と。

「尊き方よ、ここに、わたしたちは、すなわち、コーサラ〔国〕のパセーナディ王が、庭園のある地に出かけることを欲する者と成るとき、すなわち、それらが、コーサラ〔国〕のパセーナディ王の王室の象たちであるなら、それらを整えて、すなわち、彼女たちが、コーサラ〔国〕のパセーナディ王の愛しく意に適う夫人たちであるなら、彼女たちを、或る者は前に、或る者は後に、坐らせます。尊き方よ、また、まさに、それらの婦人たちには、このような形態の香りが有ります。それは、たとえば、また、まさに、香り箱が開かれている、まさしく、そのあいだのように、すなわち、香りによって飾り立てられた王女たちの、その〔香り〕は。尊き方よ、また、まさに、それらの婦人たちには、このような形態の身体の感触が有ります。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、木綿のように、あるいは、生綿のように、すなわち、安楽のうちに生長した王女たちの、その〔身体の感触〕は。尊き方よ、また、まさに、その時点において、象もまた守られるべきものとして有り、それらの婦人たちもまた守られるべき者たちとして有り、自己もまた守られるべきものとして有ります。尊き方よ、また、まさに、わたしたちは、それらの婦人たちにたいし、悪しき心を生起する者たちとなり証知することはありません(色目を使わない)。尊き方よ、これは、まさに、わたしたちにとって、この煩わしきものより他の煩わしきものであり、まさしく、そして、より煩わしきものであり、さらに、より煩わしきものと名づけられたものです」と。

「棟梁たちよ、それゆえに、ここに、在家の居住は煩わしく、塵の〔積もる〕道なのです。出家は、〔塵の積もらない〕野外にあります。棟梁たちよ、また、そして、あなたたちにとって、不放逸たるに十分なるものがあります。棟梁たちよ、四つのものがあります。まさに、〔これらの〕(性質)を具備した聖なる弟子は、預流たる者と成り、堕所の法(性質)なき者と〔成り〕、決定の者と〔成り〕、正覚を行き着く所とする者と〔成ります〕

どのようなものが、四つのものなのですか。棟梁たちよ、ここに、聖なる弟子が、覚者にたいする確固たる清信を具備した者として〔世に〕有ります。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。物惜の垢が離れ去った心で家に住します⸺施捨を解き放ち、〔布施のために〕手を洗い清め、放棄を喜び、乞いに応じ、布施と分与を喜ぶ者として。棟梁たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した聖なる弟子は、預流たる者と成り、堕所の法(性質)なき者と〔成り〕、決定の者と〔成り〕、正覚を行き着く所とする者と〔成ります〕

棟梁たちよ、あなたたちは、まさに、覚者にたいする確固たる清信を具備した者たちです。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は……略……天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。法(教え)にたいする……略……。僧団にたいする……略……。また、まさに、それが何であれ、家に施すべき法(施物)があるなら、その全てが、戒ある者たちに、善き法(性質)ある者たちに、差別なく分配されました。棟梁たちよ、それを、どう思いますか。それらの、コーサラ〔国〕にいる人間たちで、すなわち、あなたたちと等しく同等の者たちとして、どれだけの種類の者たちがいますか。すなわち、この、布施の分与について」と。「尊き方よ、わたしたちには、諸々の利得があります。尊き方よ、わたしたちには、善く得られたものがあります。すなわち、わたしたちのために、世尊は、このように覚知します」と。〔以上が〕第六となる。

注釈【1】