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翻訳【17】

マーナッタッダの経

サーヴァッティーの因縁となります。また、まさに、その時点にあって、マーナッタッダ(高慢で強情の者)という名の婆羅門が、サーヴァッティーに滞在しています。彼は、まさしく、母を敬拝せず、父を敬拝せず、師匠を敬拝せず、長兄を敬拝しません。また、まさに、その時点にあって、世尊は、大いなる衆に取り囲まれ、法(教え)を説示します。そこで、まさに、マーナッタッダ婆羅門に、この〔思い〕が有りました。「この者は、まさに、沙門ゴータマは、大いなる衆に取り囲まれ、法(教え)を説示する。それなら、さあ、わたしは、沙門ゴータマのいるところに、そこへと近づいて行くのだ。それで、もし、沙門ゴータマが、わたしに話しかけるなら、わたしもまた、彼に話しかけるであろうし、もし、沙門ゴータマが、わたしに話しかけないなら、わたしもまた、彼に話しかけないであろう」と。そこで、まさに、マーナッタッダ婆羅門は、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、沈黙の状態で、一方に立ちました。そこで、まさに、世尊は、彼に話しかけませんでした。そこで、まさに、マーナッタッダ婆羅門は、「この者は、沙門ゴータマは、何も知らない」と、まさしく、そこから、ふたたび引き返すことを欲する者と成りました。そこで、まさに、世尊は、〔自らの〕心をとおして、マーナッタッダ婆羅門の心の思索を了知して、マーナッタッダ婆羅門に、詩偈をもって語りかけました。

〔世尊が、詩偈に言う〕「婆羅門よ、〔我想の〕思量:思い上がりの心)は、善きにあらず。婆羅門よ、ここに、義(目的)ある者にとっては。それを義(目的)として、〔あなたが〕やってきたなら、まさしく、その〔義〕を増進するべきである」と。

そこで、まさに、マーナッタッダ婆羅門は、「沙門ゴータマは、わたしの心を知る」と、まさしく、その場において、世尊の〔両の〕足に、頭をもって平伏して、そして、世尊の〔両の〕足に、顔をもって口づけし、かつまた、〔両の〕手で撫で擦り、さらに、名前を告げ聞かせます。「貴君ゴータマよ、わたしは、マーナッタッダです。貴君ゴータマよ、わたしは、マーナッタッダです」と。そこで、まさに、その衆は、未曽有の心が生じたものと成りました。「ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。なぜなら、この者は、マーナッタッダは、まさしく、母を敬拝せず、父を敬拝せず、師匠を敬拝せず、長兄を敬拝しないが、そこで、また、しかしながら、沙門ゴータマにたいし、このような形態の最高の倒礼の所作を為すからだ」と。そこで、まさに、世尊は、マーナッタッダ婆羅門に、こう言いました。「婆羅門よ、十分です。立ち上がりなさい。自らの坐に坐りなさい。すなわち、あなたの心が、わたしにたいし清信したからには」と。そこで、まさに、マーナッタッダ婆羅門は、自らの坐に坐って、世尊に、詩偈をもって語りかけました。

〔婆羅門が、詩偈に言う〕「どのような者たちにたいし、〔我想の〕思量を為すべきではないのですか(慢心せずにいるべきか)。そして、どのような者たちにたいし、尊重〔の思い〕を有する者として存するべきですか。どのような者たちが、彼にとって、敬う者たちとして存するべきですか。どのような者たちが、善く供養される善き者たちとして存するべきですか」と。

〔世尊が、詩偈に言う〕「母、そして、また、父、さらに、長兄、第四の者として、師匠⸺彼らにたいし、〔我想の〕思量を為すべきではありません。彼らにたいし、尊重〔の思い〕を有する者として存するべきです。彼らは、彼にとって、敬う者たちとして存するべきです。彼らは、善く供養される善き者たちとして存するべきです。

阿羅漢たちを、〔心が〕清涼と成った者たちを、為すべきことを為した者たちを、煩悩なき者たちを、それらの無上なる者たちを礼拝するべきです⸺〔我想の〕思量を打ち倒して、強情ならざる者となり」と。

このように説かれたとき、マーナッタッダ婆羅門は、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。……略……。貴君ゴータマは、わたしを、在俗信者として認めてください⸺今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。

注釈【1】