翻訳【18】
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- Bhikkhu Sujato
- Laurence Khantipalo Mills (2015)
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ပြန်သွားရန်
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पाळिभासा (Pāli)
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参照
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矢の経
この〔世において〕、死すべき者(人間)たちの生命は、無相にして、了知されることなく、かつまた、困難で、かつまた、微小で、そして、それは、苦によって束縛されている。(1)
それによって、〔世に〕生まれた者たちが死なずにすむ、まさに、その方策は存在しない。老に至り得てもまた、死がある。まさに、このような法(性質)あるのが、命あるものたちである。(2)
熟した諸果には、早く落ちるがゆえの恐れがあるように、このように、死すべき者として生まれた者たちには、常に、死ゆえの恐れがある。(3)
たとえば、また、陶工の作った諸々の土器が、〔それらの〕全てが、破壊を結末とするように、このように、死すべき者たちの生命はある。(4)
かつまた、青年たちも、かつまた、大人たちも、彼らが愚者たちであれ、そして、彼らが賢者たちであれ⸺全ての者たちが、死魔の支配に至り行く⸺全ての者たちが、死魔〔の支配〕を行き着く所とする。(5)
死魔に打ち負かされた彼らが〔他の世に〕赴きつつあるとして、他の世からは、父が子を救うことはなく、また、あるいは、親族たちが親族たちを〔救うこともない〕。(6)
見よ⸺〔死に行く者を〕見ているだけの親族たちを、個々に泣き叫んでいる〔親族〕たちを。死すべき者たちの、まさしく、一者一者が、屠殺される牛のように、〔死へと〕導かれる。(7)
このように、世〔の人々〕は、そして、死魔によって、さらに、老によって、悩み苦しめられている。それゆえに、慧者たちは、世〔の人々〕の行く末を〔あるがままに〕知って、憂い悲しまない。(8)
来た者の、あるいは、去った者の⸺彼の道を、〔あなたは〕知らない。〔生と死の〕両極を正しく見ずに、〔あなたは〕義(意味)なく、嘆き悲しむ。(9)
もし、嘆き悲しんでいる者が、〔嘆き悲しむことで〕何らかの義(利益)を引き出すなら、そして、明眼の者は、これ(嘆き悲しむこと)を為すであろう⸺等しく迷乱した者となり、自己を害しながらも。(10)
まさに、泣き悲しむことで、憂い悲しむことで、心の寂静に至り得ることはない。まさに、より一層、苦が生起し、そして、肉体が打ちのめされる。(11)
自己によって自己を害しつつ、痩せ細り色艶の衰えた者と成るも、それによって、亡者たちがどうにかなることはない。嘆き悲しむことは、義(利益)なきこと。(12)
憂い悲しみを捨棄せずにいる人は、より一層、苦を受ける。命の終わりを泣き悲しんでいる者は、憂い悲しみの支配に従い行く者である。(13)
〔他の世へと〕去り行く、他の者たちをもまた、見よ⸺〔自己の作り為した〕行為のままに、〔他の世へと〕近しく赴く人たちを。死魔の支配に帰り来て、この〔世において〕、まさしく、震えおののいている、命あるものたちを〔見よ〕。(14)
まさに、あれやこれや思い考えるも、〔現実の〕それは、〔常に〕その〔思い〕とは他なるものと成る。見よ⸺世〔の人々〕の行く末を。このように、変じ異なる状態がある〔だけのこと〕。(15)
たとえ、百年のあいだ、生きるとして、また、あるいは、若くある者が、より一層〔生きるとして〕、親族たちの群れとは別れ別れに成り、この〔世において〕、生命を捨棄する。(16)
それゆえに、阿羅漢の〔教えを〕聞いて、嘆き悲しみ〔の思い〕を取り除くがよい。命を終えた亡者を見て、「この者は、わたし〔の力〕では、〔もはや、どうにも〕できない」と。(17)
あたかも、燃える家を水で消し止めるように、このように、また、慧者にして智慧を有する者は、賢者にして智者たる人は、生起した憂い悲しみを、すみやかに〔消し静めるがよい〕⸺風が、綿を吹き飛ばすように。(18)
自己の、嘆き悲しみを、そして、渇望〔の思い〕を、さらに、失意〔の思い〕を⸺自己の安楽を探し求めている者は、自己の矢を引き抜くがよい。(19)
矢が引き抜かれた者は、〔何にも〕依存せず、心の寂静に至り得て、一切の憂い悲しみを超え行き、憂い悲しみなく、涅槃に到達した者と成る。ということで⸺(20)
矢の経が第八となり、〔以上で〕終了となる。
翻訳【18】
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矢の経
注釈【1】
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