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翻訳【20】

「〔身体の〕破壊の前に」の経

〔対話者が尋ねた〕「どのように見ある者が、どのように戒ある者が、『寂静者』と説かれるのですか。ゴータマよ、それを、わたしに説いてください。〔問いを〕尋ねられた者として、最上の人のことを」〔と〕(1)

かくのごとく、世尊は〔答えた〕〔身体の〕破壊(死)の前に、渇愛〔の思い〕を離れ、過去の極(過去の記憶)に依存せず、〔過去と未来の〕中間(現在)において名称されない者⸺彼には、〔特別なものとして〕偏重された〔表象や見解〕は存在しません。(2)

忿激せず、恐慌せず、誇らず、悔やまず、明慧によって話し、〔心が〕高揚しない者⸺彼は、まさに、言葉を制した牟尼(沈黙の聖者)です。(3)

未来について執着なき者は、過去を憂いません。諸々の接触:感覚の発生)について遠離を見る者は、そして、諸々の見解について導かれません。(4)

〔欲望の対象から〕退去し、虚言なく、羨望〔の思い〕なく、物惜〔の思い〕なき者は、尊大ならず、〔他者に〕忌避されず、かつまた、中傷〔の思い〕に陥る者でもありません。(5)

諸々の快楽にたいし〔煩悩が〕漏れ出ない者は、かつまた、高慢〔の思い〕に陥る者でもありません。そして、〔所作進退が〕優雅で〔隙なく〕、即応即答〔の智慧〕ある者は、信仰なく、離貪しません(真理を確信した者に信仰は不要であり、無執着の者には離貪という行為自体が存在しない)(6)

利得(行乞の施物)を欲して学ばず、さらに、利得がないときも怒りません。そして、〔他者を〕遮らない者(他者に悪意なき者)は、諸々の味について、渇愛〔の思い〕で貪り求めません。(7)

〔愛憎の思いを〕放捨し、常に気づきある者は、世において、〔自己と他者について〕『等しい』と思いません。『勝る』〔とも思い〕ません。『より劣る』〔とも思い〕ません。彼に、〔貪りや怒りなどの〕諸々の増長〔の思い〕は存在しません。(8)

彼に、〔他者に〕依存することが存在しないなら、法(真理)を知って、依存なき者となります。彼に、生存への〔渇愛の思いが見出されないなら〕、あるいは、生存から離れることへの渇愛〔の思い〕が見出されないなら⸺(9)

諸々の欲望〔の対象〕について期待なき者を、彼を、〔わたしは〕『寂静者』と説きます。彼に、諸々の拘束は見出されません。彼は、執着〔の思い〕を超えたのです。(10)

彼に、子供たちや家畜たちは〔見出され〕ません。さらに、田畑や地所も見出され〔ません〕。あるいは、また、自己が、あるいは、自己ではないものが、彼においては、〔対象として〕認められないのです。(11)

そこで、〔世の〕凡夫たちである、沙門や婆羅門たちが、それによって、彼のことを〔種々に〕説くとして、そのことは、彼にとって偏重されることではありません(どうでもいいことである)。それゆえに、諸々の論にたいし動じないのです。(12)

貪求〔の思い〕を離れ、物惜〔の思い〕なく、牟尼は、増長している者たちのなかで〔論を〕説きません。等しい者たちのなかで〔論を説き〕ません。卑下している者たちのなかで〔論を説き〕ません。〔時間の〕妄想(時間の型枠・分別妄想・輪廻的あり方)なき者は、〔時間の〕妄想に至りません(輪廻しない・妄想しない)(13)

彼に、世において、自らのものが存在しないなら、そして、〔彼は〕所有するものがないので、〔もはや〕憂い悲しまず、さらに、諸々の法(見解)にたいし赴かず、彼は、まさに、『寂静者』と説かれます」〔と〕。ということで⸺(14)

〔身体の〕破壊の前に」の経が第十となり、〔以上で〕終了となる。

注釈【1】