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翻訳【20】

紛争と論争の経

〔対話者が尋ねた〕「諸々の紛争と諸々の論争は、どこから発生したのですか。そして、諸々の物惜〔の思い〕と共にある諸々の嘆きと憂いは、さらに、諸々の中傷〔の思い〕と共にある諸々の思量と高慢過慢は、それらは、どこから発生したのですか。どうか、それを説いてください」〔と〕(1)

〔世尊は答えた〕「諸々の紛争と諸々の論争は、愛しいもの(自己中心的な愛着や愛執の対象)から発生しました。そして、諸々の物惜〔の思い〕と共にある諸々の嘆きと憂いは、さらに、諸々の中傷〔の思い〕と共にある諸々の思量と高慢は、〔それらもまた、愛しいものから発生しました〕。諸々の紛争と諸々の論争は、諸々の物惜〔の思い〕に束縛されたものであり、そして、〔他者とのあいだで〕諸々の論争が生じたとき、諸々の中傷〔の思い〕があります」〔と〕(2)

〔対話者が尋ねた〕「世における諸々の愛しいものは、いったい、因縁としてどこから〔発生したのですか〕⸺さらに、また、彼らが、貪欲〔の思い〕から、世を渡り歩くとして。そして、諸々の願望は、さらに、諸々の目標は、因縁としてどこから〔発生したのですか〕⸺それらが、人の未来のために有るとして」〔と〕(3)

〔世尊は答えた〕「世における諸々の愛しいものは、因縁として欲〔の思い〕から〔発生しました〕⸺さらに、また、彼らが、貪欲〔の思い〕から、世を渡り歩くとして。そして、諸々の願望は、さらに、諸々の目標は、因縁としてこれ(欲の思い)から〔発生しました〕⸺それらが、人の未来のために有るとして」〔と〕(4)

〔対話者が尋ねた〕「世における欲〔の思い〕は、いったい、因縁としてどこから〔発生したのですか〕。さらに、また、〔世の人々が下す〕諸々の〔断定的〕判断は、〔因縁として〕どこから発生したのですか。忿激は、そして、虚偽の言葉は、さらに、懐疑は、〔因縁としてどこから発生したのですか〕⸺あるいは、また、それらの法(性質)が、沙門によって説かれたとして」〔と〕(5)

〔世尊は答えた〕〔まさに〕その、『快がある、不快がある』と、世において、〔人々が〕言うところの、その〔二者〕(快と不快)に依存して、欲〔の思い〕は発生します。諸々の形態:妄想によって固定され実体化した形相)のうちに、〔表象として妄想した〕虚無非有:無)を見て、さらに、〔表象として顕現した〕実体:存在)〔見て〕、人は、世において、〔断定的〕判断を為します。(6)

忿激は、そして、虚偽の言葉は、さらに、懐疑は、これらの法(性質)もまた、まさしく、〔快と不快の〕二者(概念的二項対立図式)〔依存して〕、存在します。懐疑ある者は、知恵の道に学ぶのです。〔このように〕知って、〔これらの〕諸法(性質)は、沙門によって説かれました」〔と〕(7)

〔対話者が尋ねた〕「そして、快と不快〔の二者〕は、因縁としてどこから〔発生したのですか〕。何が存在していないとき、これらのものは、まさに、有ることなくあるのですか。虚無、さらに、また、実体という、〔まさに〕その、この義(意味)は、因縁としてどこから〔発生するのか〕を、このことを、わたしに説いてください」〔と〕(8)

〔世尊は答えた〕「快と不快〔の二者〕は、因縁として接触:感覚の発生)から〔発生しました〕。接触が存在していないとき、これらのものは、まさに、有ることなくあります。虚無、さらに、また、実体という、〔まさに〕その、この義(意味)は、因縁としてこれ(接触)から〔発生すること〕を、このことを、あなたに説きます」〔と〕(9)

〔対話者が尋ねた〕「世における接触(感覚の発生)は、いったい、因縁としてどこから〔発生したのですか〕。さらに、また、諸々の執持〔の対象〕(所有物)は、〔因縁として〕どこから発生したのですか。何が存在していないとき、我執は存在しないのですか。何が実体を離れたとき、諸々の接触は接触しないのですか」〔と〕(10)

〔世尊は答えた〕「かつまた、名前:妄想によって固定され概念化した言葉)を、かつまた、形態:妄想によって固定され実体化した形相)を、〔両者を〕縁として、接触は〔発生しました〕。諸々の執持〔の対象〕は、因縁として欲求(潜在的な心の衝動)から〔発生しました〕。欲求が存在していないとき、我執は存在しません。形態が実体を離れたとき、諸々の接触は接触しません」〔と〕(11)

〔対話者が尋ねた〕「どのように行知した者の形態は、実体を離れるのですか。楽は、さらに、また、苦は、どのように、実体を離れるのですか。このことを、〔それが〕実体を離れる、そのとおりに、わたしに説いてください。それを、〔わたしたちは〕知りたいのです。かくのごとく、わたしの意は成りました」〔と〕(12)

〔世尊は答えた〕「表象としての表象ある者(既存の表象に随従する者)ではなく、表象を離れる表象ある者(異常な表象を妄想する者)ではなく、また、表象なき者(表象を有さない者)ではなく、実体を離れた表象ある者(表象を超越した者)ではなく、このように行知した者の形態は、実体を離れます。なぜなら、諸々の虚構の名称(世界認識の道具として虚構された概念)は、因縁として表象〔作用〕:認識対象を表象し概念化する働き)から〔発生する〕からです」〔と〕(13)

〔対話者が尋ねた〕〔まさに〕その、〔わたしたちが〕あなたに尋ねたことですが、〔あなたは〕わたしたちに述べ伝えてくれました。〔今度は、それとは〕他のものを、あなたに尋ねます。どうか、それを説いてください。まさに、或る者たちは、いったい、これ(形態の非有)だけで、精神の至高の清浄を説くのですか⸺ここに、〔自らを〕賢者たちとして。あるいは、また、これ(形態の非有)とは他のものを説くのですか」〔と〕(14)

〔世尊は答えた〕「まさに、或る者たちは、また、これ(形態の非有)だけで、精神の至高の清浄を説きます(常住論)⸺ここに、〔自らを〕賢者たちとして。いっぽうで、彼らのなかの或る者たちは、〔生存の〕依り所という残りものがないもの無余依について、〔別の誤った〕教義を説きます(断滅論)〔自らについて〕『智者である』〔と〕説きながら。(15)

しかしながら、これらの者たちを、『〔いまだ〕依存ある者たちである』と知って⸺牟尼にして〔あるがままの〕考察者たる彼は、〔彼らのことを〕依存〔の対象〕ある者たちと知って⸺解脱者は、知って〔そののち〕〔無益な〕論争に至らず、〔真の〕慧者は、種々なる生存のために行知することがありません(輪廻的あり方を超越する)〔と〕。ということで⸺(16)

紛争と論争の経が第十一となり、〔以上で〕終了となる。

注釈【1】