かくのごとく、尊者サーリプッタが〔尋ねた〕「これより過去において、わたしには見たことがなく、あるいは、誰にも聞いたことがありません⸺このように、麗しき論者にして〔世の〕教師たる方(ブッダ)は、兜率〔天〕からやってきた〔世の〕衆師たる方は。(1)
すなわち、天を含む世〔の人々〕に〔はっきりと〕見えるように、眼ある方は、一切の闇を除き去って、まさしく、独り、〔真の〕喜びに到達しました。(2)
その覚者に、依存なき方に、如なる方に、虚言なき方に、〔兜率天から〕やってきた〔世の〕衆師たる方に、問い尋ねることを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました⸺この〔世における〕、多くの結縛された者たちのために。(3)
〔世俗の生活を〕忌避している比丘にとって、〔無用となり〕遠ざけられた坐所に親近している〔比丘〕にとって、あるいは、木の根元や墓場に〔親近している比丘にとって〕、あるいは、山々の諸々の洞窟において〔臥所を営む比丘にとって〕⸺(4)
諸々の高下の臥所において、そこにおいて、どれだけの恐ろしいものたちがいるのですか。音なき臥坐所において、まさに、それらに〔遭遇しても〕動揺しないのが、比丘であるとして。(5)
〔いまだ〕赴かざる方角(涅槃)に赴きつつある者にとって、世において、どれだけの危難があるのですか。辺地の臥坐所において、それらを征服するのが、比丘であるとして。(6)
彼にとって、どのようなものが、諸々の言葉の用途(言葉の用い方)として存するべきですか。彼にとって、どのようなものが、この〔世において〕、諸々の境涯(行為のあり方)として存するべきですか。自己を精励する(全身全霊を挙げて刻苦精励する)比丘にとって、どのようなものが、諸々の戒や掟として存するべきですか。(7)
彼は、どのような学びを受持して、〔心が〕専一なる者となり、賢明なる者となり、気づきある者となり、鍛冶屋が銀の〔垢を取り除く〕ように、自己の垢を取り払うのですか」〔と〕。(8)
かくのごとく、世尊は〔答えた〕「サーリプッタよ、〔世俗の生活を〕忌避している者には、すなわち、この、平穏〔の境地〕があります⸺〔無用となり〕遠ざけられた坐所と臥所に、もし、〔彼が〕慣れ親しんでいるなら。正覚を欲する者のために、法(真理)のままなる、そのとおりに、それを、あなたに言示しましょう⸺〔わたしが〕覚知している、そのとおりに。(9)
慧者は、五つの恐怖に恐怖しないように。比丘は、気づきある者となり、制限を有する〔道〕を歩む者(戒律等の行為の制限を自らに課す者)となり、虻と蚋たちに、蛇たちに、人間たちとの接触(悪人と遭遇すること)に、四足〔の動物〕たちに、〔恐怖しないように〕。(10)
また、他の法(教え)にしたがう者(異教徒)たちに⸺たとえ、彼らの、多くの恐ろしいことを見ても⸺恐慌しないように。そこで、善を追い求める者となり、他の諸々の危難を征服するように。(11)
病いに罹り、飢えに襲われたとして、寒さを、厳しい暑さを、耐え忍ぶように。家なき者たる彼は、それら〔の危難〕に、多種に襲われたとして、精進に勤しんで、断固として為すように。(12)
盗みを為さないように。虚偽を話さないように。動くものと動かないものたち(一切の生類)に、慈愛〔の心〕で接するように。意に混濁あることを識知するなら、そのときは、『黒き者(悪魔)の徒である』と、除き去るように。(13)
忿激と高慢の支配に赴かないように。それらの根元をもまた掘り尽くして、安立するように。そこで、また、あるいは、愛しいものを、あるいは、愛しくないものを、〔この世に〕有る者は、確実に征服するように。(14)
智慧を尊んで、善に喜悦ある者となり、それらの危難を除き鎮めるように。辺境の臥所における不満〔の思い〕を打ち負かすように。四つの嘆き悲しみの法(事象)を打ち負かすように。(15)
『いったい、何を食べようか』『あるいは、どこで食べようか』『まさに、苦しみのうちに臥した』『今日は、どこで臥そうか』〔という〕、嘆き悲しみに導く、これらの〔四つの〕思考(尋)を、〔いまだ〕学びある者(有学)は、目印なくして歩む者となり、取り除くように。(16)
そして、食べ物を、さらに、衣を、〔正しい〕時に得て、彼は、量を知るように⸺ここに、満足を義(目的)として。彼は、それら(衣食)にたいし〔自己を〕守り、村においては〔自己を〕制して歩み、たとえ、〔村人の言葉に〕悩まされたとして、粗暴な言葉を説かないように。(17)
〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、かつまた、足の妄動ある者(欲望の対象を求めて歩き回る者)ではなく、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)に専念し、〔眠らずに〕多く起きている者として存するように。放捨(捨:選択せず差別なき心)に励んで、自己が定められた者となり、〔誤った〕考えへの志欲を、悔恨〔の思い〕を、断ち切るように。(18)
諸々の言葉で叱責された者は、気づきある者となり、〔その言葉を〕喜ぶように。梵行(禁欲清浄行)を共にする者たちにたいする鬱積〔の思い〕(嫉妬心)を壊し去るように。限度を超えず、善の言葉を〔適時に〕放つように。〔世の〕人の論を法(事象)として、〔あれこれと〕思い考えないように。(19)
そこで、他に、世における、五つの塵があります。それらを取り除くために、気づきある者となり、〔覚者の教えを〕学ぶように。諸々の形態(色:眼の対象)と諸々の音声(声:耳の対象)にたいする、さらに、諸々の味感(味:舌の対象)と諸々の臭気(香:鼻の対象)と諸々の接触(触:身の対象)にたいする、貪り〔の思い〕を打ち負かすように。(20)
比丘は、気づきある者となり、心が善く解脱した者となり、これらの諸法(事象)にたいする、欲〔の思い〕を取り除くように。彼は、〔正しい〕時に正しく法(事象)を遍く考察している者、彼は、〔心が〕専一と成った者、〔世の〕闇を打破するでしょう」〔と〕。ということで⸺(21)
サーリプッタの経が第十六となり、〔以上で〕終了となる。
八なるものの章が第四となり、〔以上で〕終了となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「欲望、そして、洞窟、そして、汚れ、そして、清浄、最高、老、そして、メッテイヤ、そして、パスーラ、マーガンディ(マーガンディヤ)、〔身体の〕破壊の前に⸺
紛争、そして、二つのまとまり、まさしく、さらに、迅速、自己の棒という優れた経があり、長老の問い(サーリプッタ)とともに、〔それらの〕十六がある。かくのごとく、これらの全ての経が、八なるものの章に属するものとなる」と。
注釈【1】
English