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翻訳【11】

ウパセーナ・ヴァンガンタプッタ長老の詩偈

騒音少なく、〔世俗から〕遠離し、猛々しい獣たちの慣れ親しむ、〔そのような〕臥坐所に、比丘は、慣れ親しむがよい⸺静坐を動機とするがゆえに。

塵芥場から、墓場から、さらに、道々から、〔ぼろ布を〕持ち運んで、それから、大衣を作って、粗末な衣料を〔身に〕保つがよい。

謙虚に意を為して、歩々淡々と、家から家へと、〔感官の〕門が守られ、善く統御された者として、比丘は、〔行乞の〕食のために歩むがよい。

あるいは、たとえ、粗末なものでも、満ち足りているがよい。他に、多くの味を望み求めぬがよい。諸々の味にたいし貪求ある者の意は、瞑想禅・静慮:禅定の境地)を喜ばない。

まさしく、そして、少なき欲求の者として、〔常に〕満ち足りている者として、遠離している者として、牟尼は住するがよい⸺在家の者たちと、さらに、家なき者たちと、両者ともに交わることなく。

すなわち、まさしく、痴者であるかのように、まさしく、唖者であるかのように、そのように、自己を見せるがよい。賢者は、僧団の中において、限度を超えて語らぬがよい。

彼は、誰であろうと、批判せぬがよい。害することを避けるがよい。戒条波羅提木叉:戒律条項)において統御された者として、さらに、食について量を知る者として、存するがよい。

形相(瞑想対象)を善く収め取った者として、心の生起を熟知する者として、存するがよい。〔心の〕止寂奢摩他・止に専念するがよい。そして、〔正しい〕時に、〔心の〕観察毘鉢舎那・観〔専念するがよい〕

精進の常久を成就した者(不退転の修行者)として、〔心の〕制止瑜伽に専念する者として、常に存するがよい。そして、賢者は、苦しみの終極を得ずして、信頼〔の思い〕に至らぬがよい(油断は禁物である)

このように〔世に〕住んでいる〔比丘〕の、清浄〔の境地〕を欲する比丘の、一切の煩悩は滅尽し、そして、〔彼は〕寂滅〔の境処〕に到達する。ということで⸺

……ウパセーナ・ヴァンガンタプッタ長老は…。

注釈【1】