歩みあるままに、気づきあるままに、気づきの者として、〔常に気づきを〕怠らず、思惟を制した瞑想者⸺内に喜び、自己が定められた者⸺〔常に〕満ち足りている、独りある者⸺彼を、〔賢者たちは〕「比丘」と言う。
水気のあるものを〔食べているとして〕、あるいは、乾燥したものを食べているとして、膨満し満腹した者として存さないように。〔常に〕腹を空かし、食〔の量〕が量られ、〔常に〕気づきある比丘として、遍歴遊行するがよい。
四〔口〕五口〔の食〕は食べずして、水を飲むように。自己を精励する比丘にとって、平穏の住のためには、〔これで〕十分だ。
もし、それが、適確なるものであり、〔隠すべきところを〕覆い隠すなら、この衣料は、義(道理)あるものであり、自己を精励する比丘にとって、平穏の住のためには、〔これで〕十分だ。
結跏で坐っている者の〔両の〕膝まで、雨が降らない。自己を精励する比丘にとって、平穏の住のためには、〔これで〕十分だ。
すなわち、安楽〔の感受〕を、「苦痛である」と見たなら、苦痛〔の感受〕を、「矢である」と見たなら、両者の中間にあって、〔何も〕有ることなくあったなら、世において、何によって、何が存するというのだろう。
いついかなる時も、わたしとともに〔有っては〕ならない⸺悪しき欲求ある者も、怠惰の者も、精進に劣る者も、少聞の者も、礼を欠く者も、世において、何によって、何が存するというのだろう。
そして、多聞にして思慮ある者は、諸戒において〔心が〕善く定められた者は、心の止寂に専念する者もまた、〔わたしの〕頭上に立て。
すなわち、戯論(分別妄想)に専念し、戯論を喜び楽しむ獣愚の者は、彼は、束縛からの平安という無上なるものを、涅槃〔の境処〕を、失ったのだ。
しかしながら、すなわち、戯論を捨棄して、戯論なき道を喜ぶ者は、彼は、束縛からの平安という無上なるものを、涅槃〔の境処〕を、達成したのだ。
もしくは、村であろうが、林であろうが、もしくは、低地であろうが、高地であろうが、そこにおいて、阿羅漢たちが住むなら、その地は、喜ぶべきものとなる。
すなわち、〔世俗の〕人が喜ばないところである、〔人里離れた〕諸々の林は、〔阿羅漢たちにとっては〕喜ぶべきものとなる。貪欲を離れた者たちは、〔そこにおいて〕喜ぶであろう。彼らは、欲望〔の対象〕を探し求める者たちにあらず。
諸々の財宝の〔隠し場所を〕伝授する者のように、〔わが身の〕罪過に見ある者(無自覚の罪過を指摘してくれる者)を、彼を、見るなら、そのような賢者と、〔過誤を「過誤である」と正しく〕批判して説く思慮ある者と、親しくするがよい。そのような者と親しくしている者には、より勝ることが有り、より悪しきことは〔有りえ〕ない。
〔他者を〕教え諭すように。〔真理を〕教え示すように。そして、不当なることから〔自己を〕防ぎ護るように。まさに、彼は、正しくある者たちにとって愛しき者と成り、正しからざる者たちにとって愛しからざる者と成る。
覚者たる世尊は、眼ある方は、他者のために、法(真理)を説示した。法(真理)が説示されているとき、〔真理を〕義(目的)とする者として、〔わたしは〕耳を傾けた。わたしの、その聴聞は、無駄ならざるもの。〔わたしは〕解脱者として、煩悩なき者として、〔世に〕存している。
まさしく、過去(前世)の居住〔を知る神通〕のためにあらず⸺また、天眼〔の獲得〕のためにもあらず⸺〔他者の〕心を探知する神通のために〔あらず〕⸺〔有情たちの〕死滅と再生〔を知る神通〕のために〔あらず〕⸺耳の界域(天耳界)の清浄のためにあらず⸺わたしの誓願が、〔世に〕見出されるのは(わたしの誓願は、真理のためにある)。
まさしく、木の根元に依拠して、剃髪し大衣を着た、智慧における最上の長老、まさしく、ウパティッサ(サーリプッタ)は、〔独り〕瞑想する。
思考なき〔境地〕に入定した、正等覚者の弟子は、まさしく、ただちに、聖なる沈黙の状態を具した者と成る。
あたかも、また、山の巌が、揺れ動かず、しっかりと確立しているように、このように、迷妄の滅尽あることから、比丘は、山のように動じない。
常に清らかさを探し求めている、穢れなき人には、毛先ばかりの悪でも、まさしく、雲ほどに見えてしまう。
〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。この身体を置き去りにするであろう⸺正知と気づきの者として。
〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。そして、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ⸺あたかも、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように。
〔常住と断滅の〕両者によっても、これは、死あるだけのこと。あるいは、後にも、あるいは、前にも、死なきは〔有りえ〕ない。〔道を〕実践せよ。〔為すことなく〕滅び去ってはならない。〔この〕瞬間が、あなたたちを過ぎ行くことがあってはならない(瞬時でさえも、虚しく過ごしてはならない)。
あたかも、辺境にある、内外共に保護された城市のように、このように、自己を保護するがよい。〔この〕瞬間が、あなたたちを過ぎ行くことがあってはならない。なぜなら、〔この〕瞬間を〔虚しく〕過ごした者たちは、地獄に引き渡され、憂い悲しむからである。
〔心身が〕寂静で、〔貪欲が〕止息し、明慧によって話し、〔心が〕高揚しない者は、諸々の悪しき法(性質)を払い落とす⸺風が、木の葉を〔吹き払う〕ように。
〔心身が〕寂静で、〔貪欲が〕止息し、明慧によって話し、〔心が〕高揚しない者は、諸々の悪しき法(性質)を落とし去った⸺風が、木の葉を〔吹き払う〕ように。
〔心身が〕寂静で、〔所作に〕苦労なく、清らかな信あり、〔心に〕濁りなく、善き戒あり、思慮ある者は、苦しみの終極を為す者として〔世に〕存するであろう。
このように、或る一部の者たちについては、家ある者たちについても、さらに、また、出家者たちについても、信頼するべきではない(先入見なく事実のとおりに見るべきである)。たとえ、善なる者たちと成っても、善ならざる者たちと成る。善ならざる者たちと成っても、ふたたび、善なる者たちと成る。
比丘にとって、そして、欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕(欲貪)は、憎悪〔の思い〕(瞋恚)は、かつまた、〔心の〕沈滞と眠気(昏沈睡眠)は、〔心の〕高揚(掉挙)は、さらに、疑惑〔の思い〕(疑)は⸺これらの五つのものは、心の遊び戯れである。
彼が、〔他者から〕尊敬されているとして、さらに、同様に、〔他者から〕尊敬なくあるとして、〔彼の〕禅定(定・三昧)が動揺せず、不放逸の住者としてあるなら⸺
〔まさに〕その、常久なる瞑想者を、繊細にして〔正しい〕見解ある観察者を、執取の滅尽を喜びとする者を、〔賢者たちは〕「正なる人士」と言う。
大海、地、山、さらに、また、風⸺〔それらは〕教師の優れた解脱の喩えには、結び付かない(解脱の境地は喩えようがない)。
〔法の〕輪を随転させる長老(サーリプッタ)は、大いなる知恵ある者であり、〔心が〕定められた者であり、地と水と火に等しく、〔貪りに〕染まらず、〔怒りに〕汚されない。
智慧の完全態(般若波羅蜜)に至り得た者は、大いなる覚慧ある者であり、大いなる思慧ある者であり、痴者に等しくして痴者ならず、涅槃に到達した者として、常に〔世を〕歩む。
わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為された。重荷は置かれ、〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。
〔気づきを〕怠らないことによって、〔道を〕成就せよ。これは、わたしの教示である。さあ、わたしは、完全なる涅槃に到達するであろう。一切所に、〔わたしは〕解脱者として存している。ということで⸺
……サーリプッタ長老は…。
注釈【2】
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