翻訳【17】
English
- Ayya Soma (2021)
- Bhikkhu Sujato
- Bhikkhu Thanissaro (2005)
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Ekkehard Saß (2000)
- Sabbamitta (2021)
Italiano
- Enzo Alfano
Русский
- Evgenia Evmenenko
Norsk
- Kåre A. Lie, Tone Gleditsch Stabell (2000)
Türkçe
- Dōgen Sisapa (2025)
Việt Ngữ
- Bhikkhu Indacanda (2011)
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Arya Karniawan (2019)
- Indra Anggara (2020)
සිංහල
- A.P. de Zoysa
- Kiribathgoda Gnanananda
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
キサー・ゴータミー長老尼の詩偈
世〔の人々〕に関して、善き朋友あることは、牟尼(ブッダ)によって褒め称えられた。善き朋友たちと親しくしている者は、たとえ、愚者であるも、賢者として存するであろう。
正なる人士たちは、親しくされるべき者たちである。そのように、〔正なる人士たちと〕親しくしている者たちの智慧は、〔自ずと〕増え行く。正なる人士たちと親しくしている者は、一切もろともに、苦しみから解き放たれるであろう。
そして、識知するであろう⸺苦しみを、そして、苦しみの集起を、止滅〔の境地〕を、さらに、〔聖なる〕八つの支分ある道を⸺四つもろともに、聖なる真理を。
「女として〔世に〕有ることは、苦しみである」〔と〕、調御されるべき人の馭者たる方によって告げ知らされた。まさに、〔他の婦女と〕亭主を共にすることもまた、苦しみであり、一度は出産した一部の者たちもまた、〔苦しみである〕。
〔苦悩する者たちは、自らの〕喉さえも掻く。繊細な者たちは、諸々の毒を喰らう。死児が〔身体の〕中にとどまっている者たちは、〔母と子の〕両者ともどもに、災厄を経験する。
わたしは、身重の身で〔道を〕赴きながら、亭主が死んだのを見た。道で出産して、自らの家に、まさしく、至り得ずにある。
二子は、命を終え、そして、哀れな女の亭主は、道で死に、母が、そして、父が、さらに、兄弟が、一なる荼毘の薪山に焼かれる。
家系が滅尽した哀れな者よ、おまえは、無量の苦しみを経験した。そして、おまえは、涙を流した⸺そして、幾多数千の生のあいだ。
〔わたしは〕墓場の中に住した。そこで、また、子たちの肉が喰われた。家の者を失い、全ての者に難じられ、亭主が死んだ〔わたし〕であるが、〔ついに〕不死〔の境処〕に到達した。
不死〔の境処〕に至る、聖なる八つの支分ある道は、わたしによって修められた。涅槃〔の境処〕は実証され、わたしは、法(真理)の鏡を注視した。
わたしは、〔貪欲の〕矢を折り、〔生の〕重荷を置いた者として〔世に〕存している。まさに、為すべきことは為された。心が解脱したキサー・ゴータミー長老尼は、この〔言葉〕を話した。ということで⸺
……キサー・ゴータミー長老尼は……。
十一なるものの集まりは〔以上で〕終了となる。
翻訳【17】
English
- Ayya Soma (2021)
- Bhikkhu Sujato
- Bhikkhu Thanissaro (2005)
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Ekkehard Saß (2000)
- Sabbamitta (2021)
Italiano
- Enzo Alfano
Русский
- Evgenia Evmenenko
Norsk
- Kåre A. Lie, Tone Gleditsch Stabell (2000)
Türkçe
- Dōgen Sisapa (2025)
Việt Ngữ
- Bhikkhu Indacanda (2011)
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Arya Karniawan (2019)
- Indra Anggara (2020)
සිංහල
- A.P. de Zoysa
- Kiribathgoda Gnanananda
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
キサー・ゴータミー長老尼の詩偈
注釈【2】
English
Русский