読み込み中

翻訳【17】

キサー・ゴータミー長老尼の詩偈

〔の人々〕に関して、善き朋友あることは、牟尼(ブッダ)によって褒め称えられた。善き朋友たちと親しくしている者は、たとえ、愚者であるも、賢者として存するであろう。

正なる人士たちは、親しくされるべき者たちである。そのように、〔正なる人士たちと〕親しくしている者たちの智慧は、〔自ずと〕増え行く。正なる人士たちと親しくしている者は、一切もろともに、苦しみから解き放たれるであろう。

そして、識知するであろう⸺苦しみを、そして、苦しみの集起を、止滅〔の境地〕を、さらに、〔聖なる〕八つの支分ある道を⸺四つもろともに、聖なる真理を。

「女として〔世に〕有ることは、苦しみである」〔と〕、調御されるべき人の馭者たる方によって告げ知らされた。まさに、〔他の婦女と〕亭主を共にすることもまた、苦しみであり、一度は出産した一部の者たちもまた、〔苦しみである〕

〔苦悩する者たちは、自らの〕喉さえも掻く。繊細な者たちは、諸々の毒を喰らう。死児が〔身体の〕中にとどまっている者たちは、〔母と子の〕両者ともどもに、災厄を経験する。

わたしは、身重の身で〔道を〕赴きながら、亭主が死んだのを見た。道で出産して、自らの家に、まさしく、至り得ずにある。

二子は、命を終え、そして、哀れな女の亭主は、道で死に、母が、そして、父が、さらに、兄弟が、一なる荼毘の薪山に焼かれる。

家系が滅尽した哀れな者よ、おまえは、無量の苦しみを経験した。そして、おまえは、涙を流した⸺そして、幾多数千の生のあいだ。

〔わたしは〕墓場の中に住した。そこで、また、子たちの肉が喰われた。家の者を失い、全ての者に難じられ、亭主が死んだ〔わたし〕であるが、〔ついに〕不死〔の境処〕に到達した。

不死〔の境処〕に至る、聖なる八つの支分ある道は、わたしによって修められた。涅槃〔の境処〕は実証され、わたしは、法(真理)の鏡を注視した。

わたしは、〔貪欲の〕矢を折り、〔生の〕重荷を置いた者として〔世に〕存している。まさに、為すべきことは為された。心が解脱したキサー・ゴータミー長老尼は、この〔言葉〕を話した。ということで⸺

……キサー・ゴータミー長老尼は……。

十一なるものの集まりは〔以上で〕終了となる。

注釈【2】