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翻訳【23】

バーヒヤの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、樹皮行者のバーヒヤが、スッパーラカの海岸に滞在しています。〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐具や病のための日用品たる薬の必需品(常備薬)の得者として。そこで、まさに、静所に赴き静坐している樹皮行者のバーヒヤに、このような心の思索が浮かびました。「彼らが誰であれ、まさに、あるいは、阿羅漢たちが、あるいは、阿羅漢道に入定した者たちが、世にいるとして、わたしは、彼らのなかの或るひとりである」と。

そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤの、義(利益)を欲し、慈しみ〔の思い〕ある、過去〔世〕の血縁である天神が、〔自らの〕心をとおして、樹皮行者のバーヒヤの心の思索を了知して、樹皮行者のバーヒヤのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、樹皮行者のバーヒヤに、こう言いました。「バーヒヤよ、まさに、あなたは、まさしく、阿羅漢でもなく、あるいは、阿羅漢道に入定した者でもまたありません。その〔道〕によって、あなたが、あるいは、阿羅漢として存することになり、あるいは、阿羅漢道に入定した者として〔存することになる〕、その〔実践の〕道もまた、あなたには存在しません」と。

「そこで、そうしますと、どのような者たちが、天を含む世において、あるいは、阿羅漢たちであり、あるいは、阿羅漢道に入定した者たちなのですか」と。「バーヒヤよ、北の諸地方に、サーヴァッティーという名の城市が存在します。そこにおいて、今現在、彼は、阿羅漢にして正等覚者たる世尊は住んでおられます。バーヒヤよ、まさに、彼は、世尊は、まさしく、そして、阿羅漢であり、さらに、阿羅漢の資質のための法(教え)を説示します」と。

そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、その天神〔の言葉〕に畏怖させられ、まさしく、ただちに、スッパーラカから立ち去りました。一切所において、一夜の滞在で、サーヴァッティーの、ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園のあるところに、そこへと近づいて行きました。また、まさに、その時点にあって、大勢の比丘たちが、野外において、歩行〔瞑想〕をしています。そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、それらの比丘たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの比丘たちに、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、どこに、今現在、阿羅漢にして正等覚者たる世尊は住んでおられますか。わたしどもは存しています⸺彼と、阿羅漢にして正等覚者たる世尊と会見することを欲する者たちとして」と。「バーヒヤよ、まさに、世尊は、〔行乞の〕食のために、町中に入ったところです」と。

そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、急ぎの様子でジェータ林から出て、サーヴァッティーに入って、世尊が、サーヴァッティーにおいて〔行乞の〕食のために歩んでいるのを見ました⸺清信ある方にして清信するべき方を、〔感官の〕機能が寂静となり意図が寂静となった方を、最上の〔身の〕調御と〔心の〕止寂を獲得した方を、〔自己が〕調御され〔感官の門が〕守られ〔感官の〕機能が制された龍たる方を。見て、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊の〔両の〕足に、頭をもって平伏して、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊は、わたしに、法(教え)を説示してください。善き至達者たる方善逝よ、法(教え)を説示してください。それは、わたしにとって、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。このように説かれたとき、世尊は、樹皮行者のバーヒヤに、こう言いました。「バーヒヤよ、まさに、まだ、〔そのための〕時ではありません。わたしたちは存しています⸺〔行乞の〕食のために、町中に入った者たちとして」と。

再度また、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、また、まさに、このことは、知り難いことなのです⸺あるいは、世尊の諸々の生命の障害の、あるいは、わたしの諸々の生命の障害の、〔その到来の時節は〕(わたしたちの生命は、明日をも知れない存在である)。尊き方よ、世尊は、わたしに、法(教え)を説示してください。善き至達者たる方は、法(教え)を説示してください。それは、わたしにとって、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。再度また、まさに、世尊は、樹皮行者のバーヒヤに、こう言いました。「バーヒヤよ、まさに、まだ、〔そのための〕時ではありません。わたしたちは存しています⸺〔行乞の〕食のために、町中に入った者たちとして」と。

三度また、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、また、まさに、このことは、知り難いことなのです⸺あるいは、世尊の諸々の生命の障害の、あるいは、わたしの諸々の生命の障害の、〔その到来の時節は〕。尊き方よ、世尊は、わたしに、法(教え)を説示してください。善き至達者たる方は、法(教え)を説示してください。それは、わたしにとって、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。

「バーヒヤよ、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。バーヒヤよ、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。バーヒヤよ、すなわち、まさに、あなたにとって、見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、バーヒヤよ、そのことから、あなたは、それとともに〔存在し〕ないのです。バーヒヤよ、すなわち、あなたが、それとともに〔存在し〕ないことから、バーヒヤよ、そのことから、あなたは、そこにおいて〔存在し〕ないのです。バーヒヤよ、すなわち、あなたが、そこにおいて〔存在し〕ないことから、バーヒヤよ、そのことから、あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間にあって、〔何も存在し〕ないのです。これこそは、苦しみの終極です」と。

そこで、まさに、世尊の、この簡略の法(教え)の説示によって、樹皮行者のバーヒヤの心は、まさしく、ただちに、〔何も〕執取せずして、諸々の煩悩から解脱しました。

そこで、まさに、世尊は、樹皮行者のバーヒヤを、この簡略の教諭によって教え諭して、立ち去りました。そこで、まさに、世尊が立ち去ったすぐあと、樹皮行者のバーヒヤに、幼い子牛づれの雌牛がぶつかって、〔彼の〕生命を奪いました。

そこで、まさに、世尊は、サーヴァッティーにおいて〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、大勢の比丘たちと共に、城市から出て、樹皮行者のバーヒヤが命を終えたのを見ました。見て、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を収め取りなさい。臥床に載せて運び出して、燃やしてあげなさい。そして、彼のために塔を作りなさい。比丘たちよ、あなたたちと梵行を共にする者が、命を終えたのです」と。

「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を、臥床に載せて運び出して、燃やしてあげて、そして、彼のために塔を作って、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、樹皮行者のバーヒヤの肉体は焼かれました。そして、彼のために塔が作られました。彼には、どのような〔死後の〕境遇がありますか、どのような未来の運命がありますか」と。「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、賢者です。法(教え)を法(教え)のままに実践しました。かつまた、法(教え)を事因に、わたしを悩ますことがありませんでした。比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、完全なる涅槃に到達したのです」と。

そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を見出して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

「そこにおいて、そして、水も、地も、火も、風も、依って立つことなく、そこにおいて、星々は光らず、日は現われず、そこにおいて、月は輝かず、そこにおいて、闇は見出されない。

そして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の智慧〕によって、自己みずから知った、そのときは、そこで、形態から〔解き放たれ〕、かつまた、形態なきもの無色から〔解き放たれ〕、楽と苦から解き放たれる」と。〔以上が〕第十となる。

この感興〔の言葉〕もまた、「世尊によって説かれたものである」と、わたしは聞きました。ということで⸺

菩提の章が第一となり、〔以上で〕終了となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「そして、三つの菩提、大仰な者、婆羅門があり、さらに、カッサパ(マハー・カッサパ)とともに、アジャ(アジャカラーパカ)とサンガーマ(サンガーマジ)と結髪者たちがあり、バーヒヤとともに、かくのごとく、それらの十がある」と。

注釈【1】