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翻訳【20】

バッディヤの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、アヌピヤーに住んでおられます。〔郊外の〕アンバ林(マンゴーの果樹園)において。また、まさに、その時点にあって、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤが、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、「ああ、安楽だ」「ああ、安楽だ」と、感興〔の言葉〕を唱えました。

まさに、大勢の比丘たちは、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤが、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、「ああ、安楽だ」「ああ、安楽だ」と、感興〔の言葉〕を唱えているのを耳にしました。耳にして、彼らに、この〔思い〕が有りました。「友よ、疑念〔の余地〕なく、まさに、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、喜び楽しまない者として梵行(禁欲清浄行)を歩む。すなわち、過去において、在家者として有ったときの王権の安楽があるので、彼は、それを思い浮かべながら、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、『ああ、安楽だ』『ああ、安楽だ』と、感興〔の言葉〕を唱えたのだ」と。

そこで、まさに、大勢の比丘たちが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、『ああ、安楽だ』『ああ、安楽だ』と、感興〔の言葉〕を唱えました。尊き方よ、疑念〔の余地〕なく、まさに、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、喜び楽しまない者として梵行を歩みます。すなわち、過去において、在家者として有ったときの王権の安楽があるので、彼は、それを思い浮かべながら、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、『ああ、安楽だ』『ああ、安楽だ』と、感興〔の言葉〕を唱えたのです」と。

そこで、まさに、世尊は、或るひとりの比丘に告げました。「比丘よ、さあ、あなたは、わたしの言葉でもって、バッディヤ比丘に告げなさい。『友よ、バッディヤよ、教師が、あなたを呼んでいます』」と。

「尊き方よ、わかりました」と、まさに、その比丘は、世尊に答えて、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤに、こう言いました。「友よ、バッディヤよ、教師が、あなたを呼んでいます」と。「友よ、わかりました」と、まさに、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤは、その比丘に答えて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、カーリーゴーダーの子の尊者バッディヤに、世尊は、こう言いました。

「バッディヤよ、本当に、まさに、あなたは、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、『ああ、安楽だ』『ああ、安楽だ』と、感興〔の言葉〕を唱えたのですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」と。

「バッディヤよ、また、あなたは、どのような義(利益)たる所以を正しく見ながら、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、『ああ、安楽だ』『ああ、安楽だ』と、感興〔の言葉〕を唱えたのですか」と。「尊き方よ、わたしが、過去において、在家者として有ったとき、王権を為していると、宮殿の内にもまた、善く差配された守護が有り、宮殿の外にもまた、善く差配された守護が有り、城市の内にもまた、善く差配された守護が有り、城市の外にもまた、善く差配された守護が有り、地方の内にもまた、善く差配された守護が有り、地方の外にもまた、善く差配された守護が有りました。尊き方よ、それで、まさに、わたしは、このように守護され、保護されていたのですが、疲れ、恐れ、怯え、疑いある者として、恐れある者として、〔世に〕住んでいました。尊き方よ、また、まさに、わたしは、今現在、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、独りでありながら、恐れず、怯えず、疑いなく、恐れなく、思い入れ少なく、落ち着いていて、他者の施しで生活する者となり、穏やかに成った心で〔世に〕住んでいます。尊き方よ、まさに、わたしは、この義(利益)たる所以を正しく見ながら、林に赴いてもまた、木の根元に赴いてもまた、空家に赴いてもまた、幾度となく、『ああ、安楽だ』『ああ、安楽だ』と、感興〔の言葉〕を唱えたのです」と。

そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を見出して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

「彼に、諸々の〔心の〕動乱が、〔心の〕内から存在しないなら、そして、かく有り〔かく〕無し〔の思い〕を超克した者であり、恐怖〔の思い〕が離れ去った、安楽で憂いなき彼を、天〔の神々〕たちは、見ようとして適わない(神を超えた存在である)」と。〔以上が〕第十となる。

ムチャリンダの章が第二となり、〔以上で〕終了となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「ムチャリンダ、王があり、棒とともに、尊敬があり、さらに、在俗信者とともに、妊婦、そして、独り子、スッパヴァーサー、さらに、ヴィサーカー、カーリーゴーダーの〔子の〕バッディヤがあり、〔それらの十がある〕」と。

注釈【1】