読み込み中

翻訳【18】

行為の報いから生じるものの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、或るひとりの比丘が、世尊から遠く離れていないところで、結跏(両足を交差する坐法)を組んで、身体を真っすぐに立てて、過去の行為の報い業報から生じる、強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を耐え忍びながら、気づきと正知の者として、打ちのめされることなく、坐った状態でいます。

まさに、世尊は、その比丘が、遠く離れていないところで、結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、過去の行為の報いから生じる、強烈で粗野で辛辣な苦痛の感受を耐え忍びながら、気づきと正知の者として、打ちのめされることなく、坐っているのを見ました。

そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を見出して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

「一切の行為を捨棄する比丘にとって、かつて作り為した塵を払い落としている者にとって、我執なく〔心が〕安立した如なる者にとって、人と談論することに義(利益)は存在しない(無駄話はしない)」と。〔以上が〕第一となる。

注釈【0】