このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティーに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる受認(信受)があり、種々なる嗜好(意欲)があり、種々なる見解を依所とする依存ある者たちとして。
(1)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「世〔界〕は、常久である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(2)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「世〔界〕は、常久ではない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(3)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「世〔界〕は、終極がある。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(4)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「世〔界〕は、終極がない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(5)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある(生命と肉体は同じものである)。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(6)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「他なるものとして生命があり、他なるものとして肉体がある(生命と肉体は別のものである)。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(7)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「如来は、死後に有る。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(8)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「如来は、死後に有ることがない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(9)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「如来は、死後に、かつまた、有り、かつまた、有ることがない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(10)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「如来は、死後に、まさしく、有ることもなく、有ることがないこともない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。
彼らは、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。「このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない」「このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である」と。
そこで、まさに、大勢の比丘たちが、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、サーヴァッティーに〔行乞の〕食のために入りました。サーヴァッティーにおいて〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、ここに、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティーに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる受認があり、種々なる嗜好があり、種々なる見解を依所とする依存ある者たちとして。
このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。『世〔界〕は、常久である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である』と。……略……。彼らは、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。
「比丘たちよ、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちは、盲者たちであり、眼なき者たちです。義(道理)を知らず、義(道理)ならざることを知らず、法(真理)を知らず、法(真理)ならざることを知りません。彼らは、義(道理)を知らずにいる者たちであり、義(道理)ならざることを知らずにいる者たちであり、法(真理)を知らずにいる者たちであり、法(真理)ならざることを知らずにいる者たちです。言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』と。
比丘たちよ、過去の事(過去世)ですが、まさしく、このサーヴァッティーにおいて、或るひとりの王が〔世に〕有りました。比丘たちよ、そこで、まさに、その王は、或るひとりの家来に告げました。『さて、家来よ、さあ、おまえは、すなわち、サーヴァッティーにいるかぎりの生まれながらの盲者たちであるなら、彼らの全てを、一所に集めよ』と。比丘たちよ、『陛下よ、わかりました』と、まさに、その家来は、その王に答えて、すなわち、サーヴァッティーにいるかぎりの生まれながらの盲者たちであるなら、彼らの全てを、〔一所に〕収容して、その王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その王に、こう言いました。『陛下よ、まさに、彼らが集められました。すなわち、サーヴァッティーにいるかぎりの生まれながらの盲者たちです』と。『まさに、それでは、申し付ける。生まれながらの盲者たちに、象を見せよ(象とはどのようなものか、理解させよ)』と。比丘たちよ、『陛下よ、わかりました』と、まさに、その家来は、その王に答えて、生まれながらの盲者たちに、象を見せました。
一部の生まれながらの盲者たちには、象の頭を見せました(手でさわらせた)。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の耳を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の牙を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の鼻を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の身体を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の足を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の腿を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の尾を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の尾の先端を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。
比丘たちよ、そこで、まさに、その家来は、生まれながらの盲者たちに象を見せて、その王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その王に、こう言いました。『陛下よ、まさに、それらの生まれながらの盲者たちは、象を見ました。今が、そのための時と思うのなら〔思いのままに〕』と。
比丘たちよ、そこで、まさに、その王は、それらの生まれながらの盲者たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの生まれながらの盲者たちに、こう言いました。『生まれながらの盲者たちよ、おまえたちは、象を見たのか』と。『陛下よ、そのとおりです。わたしたちは、象を見ました』と。『生まれながらの盲者たちよ、どのようなものが、象であるのか、説いてみよ』と。
比丘たちよ、すなわち、象の頭を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、瓶のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の耳を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、箕のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の牙を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、杭のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の鼻を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、鋤のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の身体を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、蔵のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の足を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、柱のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の腿を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、臼のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の尾を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、杵のようなものです』と。
比丘たちよ、すなわち、象の尾の先端を見た、生まれながらの盲者たちは、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、箒のようなものです』と。
彼らは、『このようなものが、象であり、このようなものは、象ではない』『このようなものは、象ではなく、このようなものが、象である』と、互いに他を、諸々の拳で殴り合いました。比丘たちよ、そして、いっぽう、それによって、その王は、わが意を得た者と成りました。
比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちは、盲者たちであり、眼なき者たちです。彼らは、義(道理)を知らず、義(道理)ならざることを知らず、法(真理)を知らず、法(真理)ならざることを知りません。彼らは、義(道理)を知らずにいる者たちであり、義(道理)ならざることを知らずにいる者たちであり、法(真理)を知らずにいる者たちであり、法(真理)ならざることを知らずにいる者たちです。言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。
そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を見出して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。
「或る沙門や婆羅門たちは、まさに、これら〔の見解〕に執着する。一部分〔だけ〕を見る人たちは、その〔一部分〕に執持して論争する」と。〔以上が〕第四となる。
注釈【0】