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翻訳【17】

第二の種々なる異教の者たちの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティーに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる受認(信受)があり、種々なる嗜好(意欲)があり、種々なる見解を依所とする依存ある者たちとして。

(1)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、常久である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(2)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、常久ではない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(3)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、かつまた、常久であり、かつまた、常久ではない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(4)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、まさしく、常久であることもなく、常久でないこともない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(5)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、自作されたものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(6)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、他作されたものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(7)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、かつまた、自作されたものであり、かつまた、他作されたものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(8)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(9)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、常久である。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔常久である〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(10)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、常久ではない。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔常久ではない〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(11)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、かつまた、常久であり、かつまた、常久ではない。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔かつまた、常久であり、かつまた、常久ではない〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(12)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、まさしく、常久であることもなく、常久でないこともない。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔まさしく、常久であることもなく、常久でないこともない〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(13)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、自作されたものである。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔自作されたものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(14)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、他作されたものである。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔他作されたものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(15)このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、かつまた、自作されたものであり、かつまた、他作されたものである。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔かつまた、自作されたものであり、かつまた、他作されたものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。(16)また、このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。「楽と苦は、自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものである。かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、〔自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

彼らは、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。「このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない」「このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である」と。

そこで、まさに、大勢の比丘たちが、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、サーヴァッティーに〔行乞の〕食のために入りました。サーヴァッティーにおいて〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、ここに、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティーに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる受認があり、種々なる嗜好があり、種々なる見解を依所とする依存ある者たちとして。

このような論ある者たちであり、このような見解ある者たちである、或る沙門や婆羅門たちが存在します。『かつまた、自己も、かつまた、世〔界〕も、常久である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である』と。……略……。彼らは、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。

「比丘たちよ、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちは、盲者たちであり、眼なき者たちです。義(道理)を知らず、義(道理)ならざることを知らず、法(真理)を知らず、法(真理)ならざることを知りません。彼らは、義(道理)を知らずにいる者たちであり、義(道理)ならざることを知らずにいる者たちであり、法(真理)を知らずにいる者たちであり、法(真理)ならざることを知らずにいる者たちです。言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら〔世に〕住んでいます。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。

そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を見出して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

「或る沙門や婆羅門たちは、まさに、これら〔の見解〕に執着する。〔不死への〕沈潜(涅槃)という、その〔立脚地〕に、まさしく、至り得ずして、まさしく、中途に沈む」と。〔以上が〕第五となる。

注釈【1】