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翻訳【13】

第三の禅定の経

そこで、まさに、大勢の比丘たちが、尊者サーリプッタのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者サーリプッタを相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、尊者サーリプッタに、こう言いました。

「友よ、サーリプッタよ、いったい、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、まさしく、(1)地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……(11)すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。「友よ、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。

「友よ、サーリプッタよ、また、すなわち、どのように、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。

「友よ、ここに、比丘が、このような表象ある者として〔世に〕有ります。『これは、寂静である。これは、精妙である。すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂であり、一切の依り所の放棄であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃である』と。友よ、このように、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。〔以上が〕第十となる。

注釈【0】