そこで、まさに、尊者アーナンダが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、いったい、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、まさしく、(1)地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(2)水について水の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(3)火について火の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(4)風について風の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(5)虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処)について虚空無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(6)識知無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処)について識知無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(7)無所有なる〔認識の〕場所(無所有処)について無所有なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(8)表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処)について表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(9)この世についてこの世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(10)他の世について他の世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、(11)すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
「アーナンダよ、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、水について水の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、火について火の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、風について風の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、虚空無辺なる〔認識の〕場所について虚空無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、識知無辺なる〔認識の〕場所について識知無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、無所有なる〔認識の〕場所について無所有なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所について表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、この世についてこの世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、他の世について他の世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
「尊き方よ、また、すなわち、どのように、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、水について水の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、火について火の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、風について風の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、虚空無辺なる〔認識の〕場所について虚空無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、識知無辺なる〔認識の〕場所について識知無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、無所有なる〔認識の〕場所について無所有なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所について表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、この世についてこの世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、他の世について他の世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
「アーナンダよ、ここに、比丘が、このような表象ある者として〔世に〕有ります。『これは、寂静である。これは、精妙である。すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂であり、一切の依り所の放棄であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃である』と。アーナンダよ、このように、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、水について水の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、火について火の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、風について風の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、虚空無辺なる〔認識の〕場所について虚空無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、識知無辺なる〔認識の〕場所について識知無辺なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、無所有なる〔認識の〕場所について無所有なる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所について表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、この世についてこの世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、他の世について他の世の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
そこで、まさに、尊者アーナンダは、世尊の語ったことを大いに喜んで、随喜して、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、尊者サーリプッタのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者サーリプッタを相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダは、尊者サーリプッタに、こう言いました。
「友よ、サーリプッタよ、いったい、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、まさしく、(1)地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……(11)すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。「友よ、アーナンダよ、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
「友よ、サーリプッタよ、また、すなわち、どのように、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
「友よ、アーナンダよ、ここに、比丘が、このような表象ある者として〔世に〕有ります。『これは、寂静である。これは、精妙である。すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂であり、一切の依り所の放棄であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃である』と。友よ、アーナンダよ、このように、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、まさしく、地について地の表象ある者として〔世に〕存するべくもなく……略……すなわち、この、見られ、聞かれ、思われ、識られ、至り得られ、遍く探し求められ、意によって点検されたものがあるとして、そこでもまた、表象ある者として〔世に〕存するべくもなく、また、しかしながら、表象ある者として〔世に〕存するであろう、〔そのような形態の禅定の獲得が〕」と。
「友よ、めったにないことです。友よ、はじめてのことです。なぜなら、そこで、まさに、まさしく、そして、教師の、さらに、弟子の、義(意味)と義(意味)が、文と文が、適応し、合致し、確執しないとは。すなわち、この、至高なる句において。友よ、今、わたしは、近づいて行って、世尊に、この義(意味)を尋ねました。世尊もまた、わたしに、これらの語によって、これらの句によって、これらの文によって、この義(意味)を説き明かしました。それは、すなわち、また、尊者サーリプッタが〔説き明かしたように〕。友よ、めったにないことです。友よ、はじめてのことです。なぜなら、そこで、まさに、まさしく、そして、教師の、さらに、弟子の、義(意味)と義(意味)が、文と文が、適応し、合致し、確執しないとは。すなわち、この、至高なる句において」と。〔以上が〕第七となる。
注釈【0】