或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。東の林園のミガーラマータルの高楼(鹿母講堂)において。また、まさに、その時点にあって、世尊は、斎戒(布薩)のその日、比丘の僧団に取り囲まれ、坐った状態でおられます。そこで、まさに、尊者アーナンダは、夜が更け、初更を過ぎると、坐から立ち上がって、一つの肩に上衣を掛けて、世尊のおられるところに、そこへと合掌を手向けて、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、夜が更け、初更を過ぎました。比丘の僧団は、長らく坐っています。尊き方よ、世尊は、比丘たちに、戒条を誦説してください」と。
このように説かれたとき、世尊は、沈黙の者と成りました。再度また、まさに、尊者アーナンダは、夜が更け、中更を過ぎると、坐から立ち上がって、一つの肩に上衣を掛けて、世尊のおられるところに、そこへと合掌を手向けて、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、夜が更け、中更を過ぎました。比丘の僧団は、長らく坐っています。尊き方よ、世尊は、比丘たちに、戒条を誦説してください」と。このように説かれたとき、世尊は、沈黙の者と成りました。三度また、まさに、尊者アーナンダは、夜が更け、後更を過ぎると、坐から立ち上がって、一つの肩に上衣を掛けて、世尊のおられるところに、そこへと合掌を手向けて、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、夜が更け、後更を過ぎました。比丘の僧団は、長らく坐っています。尊き方よ、世尊は、比丘たちに、戒条を誦説してください」と。「アーナンダよ、衆は、完全なる清浄にあらず」と。
そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナに、この〔思い〕が有りました。「いったい、まさに、世尊は、どの人物に関して、このように言ったのか。『アーナンダよ、衆は、完全なる清浄にあらず』」と。そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、一切すべての比丘の僧団に、心をとおして、心を探知して、意を為しました。まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、その人物を⸺劣戒にして悪しき法(性質)ある者であり、不浄にして励行に疑いある者であり、生業を隠蔽し、沙門ではないのに沙門と明言し、梵行者ではないのに梵行者と明言し、内まで腐り〔煩悩が〕漏れ出ている、生まれながらの屑でありながら、比丘の僧団の中に坐っている〔その人物〕を⸺見ました。見て、坐から立ち上がって、その人物のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その人物に、こう言いました。「友よ、立ち上がりなさい。世尊によって〔事実のとおりに〕見られた者として、〔あなたは〕存しています。あなたに、比丘たちと共に共住する〔資格〕は存在しません」と。
このように説かれたとき、その人物は、沈黙の者と成りました。再度また、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、その人物に、こう言いました。「友よ、立ち上がりなさい。世尊によって〔事実のとおりに〕見られた者として、〔あなたは〕存しています。あなたに、比丘たちと共に共住する〔資格〕は存在しません」と。再度また、まさに……略……。三度また、まさに、その人物は、沈黙の者と成りました。
そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、その人物の腕を掴んで、門小屋の外に追い出して、閂を掛けて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、その人物は、わたしが追い出しました。衆は、完全なる清浄です。尊き方よ、世尊は、比丘たちに、戒条を誦説してください」と。「モッガッラーナよ、めったにないことです。モッガッラーナよ、はじめてのことです。さてまた、腕を掴むに至るまで、まさに、その愚人が待っているとは」と。
そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、今や、あなたたちだけで、斎戒を為し、戒条を誦説するのです。比丘たちよ、今や、わたしは、今日以後、斎戒を為すことも、戒条を誦説することも、ないでしょう。比丘たちよ、このことは、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、如来が、完全なる清浄ならざる衆のために戒条を誦説することは。
比丘たちよ、八つのものがあります。これらの、大海について、めったにないはじめての法(性質)です。それらを見ては見て、阿修羅たちは、大海について喜び楽しみます。どのようなものが、八つのものなのですか。(1)比丘たちよ、大海は、順次に向かい行き、順次に傾倒し、順次に傾斜し、いきなり急に深淵にはなりません。比丘たちよ、すなわち、また、大海が、順次に向かい行き、順次に傾倒し、順次に傾斜し、いきなり急に深淵にはならないのは、比丘たちよ、これは、大海について、第一のめったにないはじめての法(性質)です。それを見ては見て、阿修羅たちは、大海について喜び楽しみます。……略……(すなわち、以前におけるように、そのように詳知されるべきである)。
(8)比丘たちよ、さらに、また、他に、大海は、大いなる生類たちの居住所となり、そこに、これらの生類たちが⸺ティミ〔の大魚〕が、ティミンガラ〔の大魚〕が、ティミラピンガラ〔の大魚〕が、阿修羅たちが、龍たちが、音楽神たちが⸺百ヨージャナさえもの自己状態あるものたちとして……略……五百ヨージャナさえもの自己状態あるものたちとして、大海のうちに存在します。比丘たちよ、すなわち、また、大海が、大いなる生類たちの居住所となり、そこに、これらの生類たちが⸺ティミ〔の大魚〕が、ティミンガラ〔の大魚〕が、ティミラピンガラ〔の大魚〕が、阿修羅たちが、龍たちが、音楽神たちが⸺百ヨージャナさえもの自己状態あるものたちとして……略……五百ヨージャナさえもの自己状態あるものたちとして、大海のうちに存在するのは、比丘たちよ、まさに、これは、大海について、第八のめったにないはじめての法(性質)です。それを見ては見て、阿修羅たちは、大海について喜び楽しみます。比丘たちよ、まさに、これらの八つの、大海について、めったにないはじめての法(性質)があります。それらを見ては見て、阿修羅たちは、大海について喜び楽しみます。
比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、この法(教え)と律について、八つのめったにないはじめての法(性質)があります。それらを見ては見て、比丘たちは、この法(教え)と律について喜び楽しみます。どのようなものが、八つのものなのですか。(1)比丘たちよ、それは、たとえば、また、大海が、順次に向かい行き、順次に傾倒し、順次に傾斜し、いきなり急に深淵にならないように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、この法(教え)と律においては、順次に学びがあり、順次に行があり、順次に〔実践の〕道があり、いきなり急に了知の理解はありません。比丘たちよ、すなわち、また、この法(教え)と律においては、順次に学びがあり、順次に行があり、順次に〔実践の〕道があり、いきなり急に了知の理解がないのは、比丘たちよ、これは、この法(教え)と律について、第一のめったにないはじめての法(性質)です。それを見ては見て、比丘たちは、この法(教え)と律について喜び楽しみます。……略……。(8)比丘たちよ、それは、たとえば、また、大海が、大いなる生類たちの居住所となり、そこに、これらの生類たちが⸺ティミ〔の大魚〕が、ティミンガラ〔の大魚〕が、ティミラピンガラ〔の大魚〕が、阿修羅たちが、龍たちが、音楽神たちが⸺百ヨージャナさえもの自己状態あるものたちとして……略……五百ヨージャナさえもの自己状態あるものたちとして、大海のうちに存在するように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、この法(教え)と律は、大いなる生類たちの居住所となり、そこに、これらの生類たちが⸺預流たる者が、預流果の実証のために〔道を〕実践する者が、一来たる者が、一来果の実証のために〔道を〕実践する者が、不還たる者が、不還果の実証のために〔道を〕実践する者が、阿羅漢が、阿羅漢の資質のために〔道を〕実践する者がいます。比丘たちよ、すなわち、また、この法(教え)と律が、大いなる生類たちの居住所となり、そこに、これらの生類たちが⸺預流たる者が、預流果の実証のために〔道を〕実践する者が……略……阿羅漢が、阿羅漢の資質のために〔道を〕実践する者がいるのは、比丘たちよ、これは、この法(教え)と律について、第八のめったにないはじめての法(性質)です。それを見ては見て、比丘たちは、この法(教え)と律について喜び楽しみます。比丘たちよ、まさに、これらの八つの、この法(教え)と律について、めったにないはじめての法(性質)があります。それらを見ては見て、比丘たちは、この法(教え)と律について喜び楽しみます」と。〔以上が〕第十となる。
大いなるものの章が第二となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ヴェーランジャ、シーハ、良馬があり、野馬とともに、そして、諸々の垢、使者、さらに、二つの結縛するもの、パハーラーダ、斎戒があり、〔章となる〕」と。
注釈【0】