このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ(竹林精舎)において。また、まさに、その時点にあって、家長の子であるシンガーラが、まさしく、早朝に起きて、ラージャガハから出立して、濡れた衣と濡れた髪で、合掌の者となり、多々なる方角を──東の方角を、南の方角を、西の方角を、北の方角を、下の方角を、上の方角を──礼拝します。
そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、ラージャガハに〔行乞の〕食のために入りました。まさに、世尊は、家長の子であるシンガーラが、まさしく、早朝に起きて、ラージャガハから出立して、濡れた衣と濡れた髪で、合掌の者となり、多々なる方角を──東の方角を、南の方角を、西の方角を、北の方角を、下の方角を、上の方角を──礼拝しているのを見ました。見て、家長の子であるシンガーラに、こう言いました。「家長の子よ、いったい、まさに、どうして、あなたは、まさしく、早朝に起きて、ラージャガハから出立して、濡れた衣と濡れた髪で、合掌の者となり、多々なる方角を──東の方角を、南の方角を、西の方角を、北の方角を、下の方角を、上の方角を──礼拝するのですか」と。「尊き方よ、命を終えつつある父が、わたしに、このように言いました。『息子よ、諸々の方角を礼拝するように』と。尊き方よ、それで、まさに、わたしは、父の言葉を、尊敬し、尊重し、思慕し、供養しながら、まさしく、早朝に起きて、ラージャガハから出立して、濡れた衣と濡れた髪で、合掌の者となり、多々なる方角を──東の方角を、南の方角を、西の方角を、北の方角を、下の方角を、上の方角を──礼拝します」と。
六つの方角
「家長の子よ、まさに、聖者の律において、このように、六つの方角は礼拝されるべきではありません」と。「尊き方よ、また、すなわち、どのように、聖者の律において、六つの方角は礼拝されるべきですか。尊き方よ、どうか、世尊は、わたしに、すなわち、聖者の律において、六つの方角が礼拝されるべきとおり、そのとおりに、法(教え)を説示してください」と。
「家長の子よ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、家長の子であるシンガーラは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。
「家長の子よ、すなわち、まさに、聖なる弟子には、四つの行為による〔心の〕汚れ(煩悩)が、捨棄されたものと成り、そして、四つの境位あることから、悪しき行為を為さず、さらに、諸々の財物にとっての、六つの損失の門に慣れ親しみません。彼は、このように、十四の悪しきことから離れ去った者と〔成り〕、六つの方角の防備ある者と〔成り〕、〔この世と他の世の〕両者の世を征圧するために実践する者と成ります。彼には、まさしく、そして、この世も、さらに、他の世も、勉励されたものと成ります。彼は、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。
四つの行為による〔心の〕汚れ
彼には、どのような四つの行為による〔心の〕汚れが、捨棄されたものと成るのですか。家長の子よ、まさに、命あるものを殺すことは、行為による〔心の〕汚れであり、与えられていないものを取ることは、行為による〔心の〕汚れであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ない(邪淫)は、行為による〔心の〕汚れであり、虚偽を説くことは、行為による〔心の〕汚れです。彼には、これらの四つの行為による〔心の〕汚れが、捨棄されたものと成ります」と。世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕「命あるものを殺すことは、与えられていないものを取ることは、そして、虚偽を説くことは、〔悪しき行為と〕説かれる。まさしく、そして、他者の妻のもとに赴くことを、賢者たちは賞賛しない」と。
四つの境位
「どのような四つの境位あることから、悪しき行為を為さないのですか。欲〔の思い〕という非道を赴きつつある者は、悪しき行為を為し、憤怒という非道を赴きつつある者は、悪しき行為を為し、迷妄という非道を赴きつつある者は、悪しき行為を為し、恐怖という非道を赴きつつある者は、悪しき行為を為します。家長の子よ、すなわち、まさに、聖なる弟子が、まさしく、欲〔の思い〕という非道を赴かず、憤怒という非道を赴かず、迷妄という非道を赴かず、恐怖という非道を赴かないことから、これらの四つの境位あることから、悪しき行為を為しません」と。世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕「すなわち、欲〔の思い〕ゆえに、憤怒ゆえに、恐怖ゆえに、迷妄ゆえに、法(正義)を超え行くなら、彼の福徳は衰退する──黒分(月が欠ける期間)における月のように。
すなわち、欲〔の思い〕ゆえに、憤怒ゆえに、恐怖ゆえに、迷妄ゆえに、法(正義)を超え行くことがないなら、彼の福徳は円満する──白分(月が満ちる期間)における月のように」と。
六つの損失の門
「諸々の財物にとっての、どのような六つの損失の門に慣れ親しまないのですか。家長の子よ、まさに、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位への専念は、諸々の財物にとっての損失の門であり、非時に路地を歩むこと(夜遊び)への専念は、諸々の財物にとっての損失の門であり、祭礼に通いつめることへの専念は、諸々の財物にとっての損失の門であり、賭事による放逸の境位への専念は、諸々の財物にとっての損失の門であり、悪しき朋友への専念は、諸々の財物にとっての損失の門であり、怠けへの専念は、諸々の財物にとっての損失の門です。
穀物酒や果実酒の六つの危険
家長の子よ、まさに、これらの六つの、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位への専念における危険があります。現に見られる財の衰退であり、紛争の増大であり、諸々の病の依止であり、名誉ならざることの産出であり、隠すべきところの露出であり、まさしく、『智慧を力弱きものと為すもの』という、第六の境処が有ります。家長の子よ、まさに、これらの六つの、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位への専念における危険があります。
非時に路地を歩むことの六つの危険
家長の子よ、まさに、これらの六つの、非時に路地を歩むこと(夜遊び)への専念における危険があります。彼の自己もまた保護されず守護されないものと成ります。彼の子と妻もまた保護されず守護されないものと成ります。彼の所有物もまた保護されず守護されないものと成ります。かつまた、諸々の悪しき境位において疑いある者と成ります。かつまた、彼について事実ならざる言葉が横行します。かつまた、多くの苦痛の法(性質)が待ち受けている者と成ります。家長の子よ、まさに、これらの六つの、非時に路地を歩むことへの専念における危険があります。
祭礼に通いつめることの六つの危険
家長の子よ、まさに、これらの六つの、祭礼に通いつめることへの専念における危険があります。『どこで舞踏があるのか』『どこで歌詠があるのか』『どこで音楽があるのか』『どこで語り物があるのか』『どこで手鈴があるのか』『どこで銅鑼があるのか』という〔懊悩があります〕。家長の子よ、まさに、これらの六つの、祭礼に通いつめることへの専念における危険があります。
賭事による放逸の六つの危険
家長の子よ、まさに、これらの六つの、賭事による放逸への専念における危険があります。勝っているなら、怨念を生み出します。勝者は、富〔の喪失あること〕を憂い悲しみます。現に見られる財の衰退があります。集会に赴いたとして、言葉が通用しません(相手にされない)。朋友や僚友たちに貶められる者と成ります。嫁とりや嫁やりをする者たちに切望されない者と成ります。『この者は、賭博師である。人士たる人として、妻を養うに十分ならず』と。家長の子よ、まさに、これらの六つの、賭事による放逸への専念における危険があります。
悪しき朋友あることの六つの危険
家長の子よ、まさに、これらの六つの、悪しき朋友への専念における危険があります。すなわち、博徒たちが、すなわち、酒飲みたちが、すなわち、大酒飲みたちが、すなわち、欺く者たちが、すなわち、騙す者たちが、すなわち、無理強いする者たちが──それらの者たちが、彼の朋友たちと成り、それらの者たちが、〔彼の〕道友たちと〔成ります〕。家長の子よ、まさに、これらの六つの、悪しき朋友への専念における危険があります。
怠けの六つの危険
家長の子よ、まさに、これらの六つの、怠けへの専念における危険があります。『寒過ぎる』と、行為を為しません。『暑過ぎる』と、行為を為しません。『夕方過ぎる』と、行為を為しません。『早朝過ぎる』と、行為を為しません。『極めて空腹の者として、〔わたしは〕存している』と、行為を為しません。『極めて満腹の者として、〔わたしは〕存している』と、行為を為しません。彼が、このように為すべきことに理由が多くある者として〔世に〕住んでいると、まさしく、そして、諸々の〔いまだ〕生起していない財物は生起せず、さらに、諸々の〔すでに〕生起した財物は完全なる滅尽に至ります。家長の子よ、まさに、これらの六つの、怠けへの専念における危険があります」と。世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕「飲み友達という名の者が有る。『友よ』『友よ』の者が有る。しかしながら、すなわち、諸々の義(事態)が生じたとき、道友として有る、その者が、〔真の〕友と成る。
日の出のあとも臥すこと、他者の妻と慣れ親しむこと、かつまた、怨恨を生み出すこと、かつまた、義(道理)なきこと、かつまた、悪しき朋友たち、かつまた、極めて吝嗇たること──これらの六つの境位は、人を砕破する。
悪しき朋友ある者は、悪しき友人ある者は、悪しき習行と境涯ある者は、人として、この世から、そして、他〔の世〕から、両者から転落する。
博打と女たち、酒、舞踏と歌詠、昼の眠り、非時の出歩き、そして、悪しき朋友たち、さらに、極めて吝嗇たること──これらの六つの境位は、人を砕破する。
諸々の博打で遊ぶ、酒を飲む、他者たちにとって命に等しい女たちのもとに行く、そして、年長者に仕え親しまず、劣った者に仕え親しむ者たち──〔彼らの福徳は〕衰退する──黒分(月が欠ける期間)における月のように。
すなわち、財なく無一物でありながら大酒飲みで、酒場に至り、諸々の酒を飲みながら、水のように借金に沈み、すみやかに、自己に、家なき〔境遇〕を作り為すであろう。
昼の眠りを戒とする者に、夜のうちに起きること(早起き)を嫌う者に、常に酔っている酒乱の者に、家に居住することはできない。
『これは、寒過ぎる、暑過ぎる、〔もはや〕夕方過ぎと成った』〔と〕、かくのごとく、若くある者が生業を捨て去ったなら、諸々の義(利益)は、〔虚しく〕過ぎ行く。
すなわち、ここに、そして、寒さを、さらに、暑さを、〔道端の〕草よりもより一層のものと思い考えないなら、諸々の人として為すべきことを為しながら、彼は、安楽から衰退しない」と。
朋友の模造品たち
「家長の子よ、これらの四つの朋友ならざる者たちが、朋友の模造品たちと知られるべきです。何であろうが運び去る者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。言葉を最高とする者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。愛慕の口調ある者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。損失ある道友は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、何であろうが運び去る者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。
〔そこで、詩偈に言う〕『何であろうが運び去る者として〔世に〕有る。少しのものによって多くのものを求める。恐怖のために為すべきことを為す。義(利益)を動機として慣れ親しむ』〔と〕。
家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、何であろうが運び去る者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、言葉を最高とする者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。過去のことで懐柔します。未来のことで懐柔します。義(道理)なきことで愛護します。諸々の現在の為すべきことに難色を示します。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、言葉を最高とする者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、愛慕の口調ある者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。彼の悪しきことをもまた証認します。彼の善きことをもまた証認します。彼の栄誉を面前で語ります。彼の栄誉ならざることを背面で語ります。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、愛慕の口調ある者は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、損失ある道友は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです。穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位への専念における道友として〔世に〕有ります。非時に路地を歩むことへの専念における道友として〔世に〕有ります。祭礼に通いつめることへの専念における道友として〔世に〕有ります。賭事による放逸の境位への専念における道友として〔世に〕有ります。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、損失ある道友は、朋友ならざる者であり、朋友の模造品と知られるべきです」と。
世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕「何であろうが運び去る朋友、そして、すなわち、言葉を最高とする朋友、すなわち、愛慕〔の甘言〕を言い、さらに、すなわち、諸々の損失〔の境位〕における道友であるなら──
これらの四者を、朋友ならざる者たちと、かくのごとく識知して、賢者は、遠く離れて遍く避けるべきである──あたかも、恐怖の道であるかのように」と。
善き心ある朋友
「家長の子よ、これらの四つの朋友たちが、善き心ある者たちと知られるべきです。資益者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。楽と苦を等しくする者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。義(利益)を告知する者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。慈しみ〔の思い〕ある者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、資益者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。酔っている者を守ります。酔っている者の所有物を守ります。恐怖している者の帰依所と成ります。諸々の義務や用事が生起したとき、それの二倍の財物を供与します。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、資益者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、楽と苦を等しくする者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。彼に〔自己の〕秘密を告知します。彼の秘密を完全に秘匿します。諸々の逆境において捨棄しません。彼の義(利益)のために、生命でさえも完全に捨て去ったものとして有ります。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、楽と苦を等しくする者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、義(利益)を告知する者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。悪しきことから防護します。善きことにおいて固着させます。聞いていないことを告げ聞かせます。天上への道を告知します。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、義(利益)を告知する者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。
家長の子よ、まさに、四つの境位によって、慈しみ〔の思い〕ある者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです。彼の不遇によって喜びません。彼の栄達によって喜びます。栄誉ならざることを語っている者を阻止します。栄誉を語っている者を賞賛します。家長の子よ、まさに、これらの四つの境位によって、慈しみ〔の思い〕ある者は、朋友であり、善き心ある者と知られるべきです」と。
世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕「そして、すなわち、資益者たる朋友、かつまた、すなわち、楽においても苦においても友人であり、かつまた、すなわち、義(利益)を告知する朋友、さらに、すなわち、慈しみ〔の思い〕ある朋友であるなら──
これらの四者を、朋友たちと、また、かくのごとく識知して、賢者は、恭しく奉持するであろう──母が、わが子を〔慈しむ〕ように。戒を成就した賢者は、燃え盛る火のように光り輝く。
蜜蜂が振る舞うように、諸々の財物を集めている者には、蟻塚が積み上げられるように、諸々の財物は蓄積に至る。
このように、諸々の財物を集めて、家にある在家者として、十分なる自己ある者となる。諸々の財物を四種に区分するなら、彼は、まさに、朋友たちを結び束ねる。
一つによって、諸々の財物を受益するべきであり、二つによって、生業に従事するべきであり、そして、第四のものを貯蔵するべきである──諸々の逆境においても〔財物が〕有るべく」と。
六つの方角の防備の部
「家長の子よ、では、どのように、聖なる弟子は、六つの方角の防備ある者と成るのですか。家長の子よ、これらの六つの方角が知られるべきです。東の方角は、母と父と知られるべきです。南の方角は、師匠たちと知られるべきです。西の方角は、子と妻たちと知られるべきです。北の方角は、朋友や僚友たちと知られるべきです。下の方角は、奴隷や労夫たちと知られるべきです。上の方角は、沙門や婆羅門たちと知られるべきです。
家長の子よ、まさに、五つの境位によって、東の方角である母と父は、子によって奉仕されるべきです。『養われた者として、彼らを養うのだ』『為すべきことを、彼らに為すのだ』『家の伝統を止住させるのだ』『〔家の〕継承物を管理するのだ』『そこで、また、あるいは、命を終えた亡者たちに、施物を供与するのだ』と。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、東の方角である母と父は、子によって奉仕されたなら、五つの境位によって、子を慈しみます。悪しきことから防護します。善きことにおいて固着させます。技能を学ばせます。適切な妻を娶らせます。〔しかるべき〕時点において、〔家の〕継承物を引き渡します。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、東の方角である母と父は、子によって奉仕されたなら、これらの五つの境位によって、子を慈しみます。家長の子よ、このように、彼の、この東の方角は、防備されたものと成り、平安で恐怖なき者と〔成ります〕。
家長の子よ、まさに、五つの境位によって、南の方角である師匠たちは、内弟子によって奉仕されるべきです。立礼によって、奉仕によって、従順によって、世話によって、恭しく技能を納受することによって。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、南の方角である師匠たちは、内弟子によって奉仕されたなら、五つの境位によって、内弟子を慈しみます。善く教導された者に教導します。善く把握されたものを把握させます。全ての技能と所聞を等しく告知する者たちと成ります。朋友や僚友たちに引き合わせます。方々において救護を為します。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、南の方角である師匠たちは、内弟子によって奉仕されたなら、これらの五つの境位によって、内弟子を慈しみます。家長の子よ、このように、彼の、この南の方角は、防備されたものと成り、平安で恐怖なき者と〔成ります〕。
家長の子よ、まさに、五つの境位によって、西の方角である妻は、夫によって奉仕されるべきです。敬仰することによって、軽蔑しないことによって、不倫しないことによって、〔家庭の〕主権を放棄することによって、外装品を供与することによって。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、西の方角である妻は、夫によって奉仕されたなら、五つの境位によって、夫を慈しみます。かつまた、善く差配された生業ある者と成ります。かつまた、従者を愛護する者と〔成ります〕。かつまた、不倫しない者と〔成ります〕。かつまた、運び込まれたものを守護します。かつまた、全ての為すべきことにおいて怠けない能ある者と〔成ります〕。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、西の方角である妻は、夫によって奉仕されたなら、これらの五つの境位によって、夫を慈しみます。家長の子よ、このように、彼の、この西の方角は、防備されたものと成り、平安で恐怖なき者と〔成ります〕。
家長の子よ、まさに、五つの境位によって、北の方角である朋友や僚友たちは、良家の子息によって奉仕されるべきです。布施によって、愛ある言葉によって、義(利益)ある行ないによって、〔自他が〕等しくあることによって、言葉を違えないことによって。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、北の方角である朋友や僚友たちは、良家の子息によって奉仕されたなら、五つの境位によって、良家の子息を慈しみます。酔っている者を守ります。酔っている者の所有物を守ります。恐怖している者の帰依所と成ります。諸々の逆境において捨棄しません。そして、彼の後の子孫を優遇します。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、北の方角である朋友や僚友たちは、良家の子息によって奉仕されたなら、これらの五つの境位によって、良家の子息を慈しみます。家長の子よ、このように、彼の、この北の方角は、防備されたものと成り、平安で恐怖なき者と〔成ります〕。
家長の子よ、まさに、五つの境位によって、下の方角である奴隷や労夫たちは、主人によって奉仕されるべきです。〔彼らの〕力のとおりの生業の差配(適材適所)によって、食事と報酬の供与によって、病者への奉仕(看護)によって、諸々の珍味の分与によって、〔しかるべき〕時点における放棄(休息)によって。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、下の方角である奴隷や労夫たちは、主人によって奉仕されたなら、五つの境位によって、主人を慈しみます。かつまた、先に起きる者たちと成ります。かつまた、後に退く者たちと〔成ります〕。かつまた、与えられたものを取る者たちと〔成ります〕。かつまた、善き行ないの行為を為す者たちと〔成ります〕。かつまた、〔主人の〕名誉と栄誉を運び行く者たちと〔成ります〕。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、下の方角である奴隷や労夫たちは、主人によって奉仕されたなら、これらの五つの境位によって、主人を慈しみます。家長の子よ、このように、彼の、この下の方角は、防備されたものと成り、平安で恐怖なき者と〔成ります〕。
家長の子よ、まさに、五つの境位によって、上の方角である沙門や婆羅門たちは、良家の子息によって奉仕されるべきです。慈愛〔の思い〕ある身体の行為によって、慈愛〔の思い〕ある言葉の行為によって、慈愛〔の思い〕ある意の行為によって、門を閉ざさないことによって、財貨の供与によって。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、上の方角である沙門や婆羅門たちは、良家の子息によって奉仕されたなら、六つの境位によって、良家の子息を慈しみます。悪しきことから防護します。善きことにおいて固着させます。善き意によって慈しみます。聞いていないことを告げ聞かせます。聞いたことを遍く清めます(明確にする)。天上への道を告知します。家長の子よ、まさに、これらの五つの境位によって、上の方角である沙門や婆羅門たちは、良家の子息によって奉仕されたなら、これらの六つの境位によって、良家の子息を慈しみます。家長の子よ、このように、彼の、この上の方角は、防備されたものと成り、平安で恐怖なき者と〔成ります〕」と。
世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。
〔そこで、詩偈に言う〕「母と父は、東の方角である。師匠たちは、南の方角である。子と妻たちは、西の方角である。そして、朋友や僚友たちは、北〔の方角〕である。
奴隷や労夫たちは、下〔の方角〕である。沙門や婆羅門たちは、上〔の方角〕である。家にある在家者として十分なる自己ある者は、これらの方角を礼拝するべきである。
戒を成就した賢者は、そして、優雅にして弁才ある者は、謙譲の生活者にして強情ならざる者は──そのような者は、盛名を得る。
〔早くに〕起き、怠けず、諸々の逆境においても動じない。〔常に励む〕断絶なき生活者にして思慮ある者は──そのような者は、盛名を得る。
愛護の者にして朋友を作る者は、寛容にして物惜を離れた者は、導き手にして教導者たる指導者は──そのような者は、盛名を得る。
かつまた、布施は、かつまた、愛ある言葉は、かつまた、すなわち、この〔世において〕、義(利益)ある行ないは、かつまた、その場その場において分のままに、諸々の法(事象)にたいし等しくあることは──これらのものは、まさに、世における愛護である。進み行く車の、〔四つの〕楔(車軸に車輪を固定する部品)のようなものである。
そして、これらの〔四つの〕愛護が存在しないなら、母は、子を契機として、敬慕を、あるいは、供養を、得ないであろう──あるいは、父も、子を契機として。
しかしながら、すなわち、これらの〔四つの〕愛護があり、賢者たちは、正しく注視することから、それゆえに、大いなるものに至り得るのであり、そして、彼らは、賞賛されるべき者たちと成る」と。
このように説かれたとき、家長の子であるシンガーラは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すばらしいことです。尊き方よ、すばらしいことです。尊き方よ、それは、たとえば、また、あるいは、倒れたものを起こすかのように、あるいは、覆われたものを開くかのように、あるいは、迷う者に道を告げ知らせるかのように、あるいは、暗黒のなかで油の灯火を保つかのように、『眼ある者たちは、諸々の形態を見る』と、まさしく、このように、世尊によって、無数の教相(具体的説明・法門)によって、法(真理)が明示されました。尊き方よ、〔まさに〕この、わたしは、世尊を帰依所に赴きます──そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を(仏法僧の三宝に帰依する)。世尊は、わたしを、在俗信者として認めてください──今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。
シンガーラの経は終了となり、〔以上が〕第八となる。
注釈【2】
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