このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、コーサラ〔国〕において、大いなる比丘の僧団である、五百ばかりの比丘たちと共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、イッチャーナンガラという名のコーサラ〔国〕の婆羅門の村のあるところに、そこへと至り着きました。そこで、まさに、世尊は、イッチャーナンガラ〔村〕に住んでおられます。イッチャーナンガラ〔村〕の密林において。
ポッカラサーティの事
また、まさに、その時点にあって、婆羅門のポッカラサーティが、ウッカッターに居住しています。有情たちで隆盛し、草と薪と水を有し、穀物を有する、王領地に──コーサラ〔国〕のパセーナディ王によって施された、王施にして梵施たる〔王領地〕に。まさに、婆羅門のポッカラサーティは、「君よ、まさに、釈迦〔族〕の家から出家した、釈迦族の沙門ゴータマが、コーサラ〔国〕において、大いなる比丘の僧団である、五百ばかりの比丘たちと共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、イッチャーナンガラ〔村〕に到着し、イッチャーナンガラ〔村〕に住んでいる。イッチャーナンガラ〔村〕の密林において。また、まさに、彼に、貴君ゴータマに、このように、善き評価の声が上がっている。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明知と行ないの成就者であり、善き至達者であり、世〔の一切〕を知る者であり、無上なる者であり、調御されるべき人の馭者であり、天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』〔と〕。彼は、天を含み、魔を含み、梵を含み、沙門や婆羅門を含む、この世〔の人々〕に、天〔の神〕や人間を含む人々に、自ら、証知して、実証して、〔法を〕知らせる。彼は、法(教え)を説示する──最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示する。また、まさに、善きかな、そのような形態の阿羅漢たちとの会見が有るのは」と耳にしました。
アンバッタ学徒
また、まさに、その時点にあって、婆羅門のポッカラサーティには、アンバッタという名の学徒が、内弟子として有りました。読誦者として、呪文の保持者として、語彙と〔その〕活用を含み、文字と〔その〕細別を含み、古伝を第五とする、三つのヴェーダの奥義に至る者にして、詩句に通じ、文典に精通し、処世術と偉大なる人士の特相について欠くことなく通じる者です。自らの師匠伝来のものである三つのヴェーダの〔聖なる〕言葉について、『それを、わたしが知るなら、それを、あなたは知る』『それを、あなたが知るなら、それを、わたしは知る』と承認され明言される者です。
そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、アンバッタ学徒に告げました。「親愛なる者よ、アンバッタよ、この者が、釈迦〔族〕の家から出家した、釈迦族の沙門ゴータマが、コーサラ〔国〕において、大いなる比丘の僧団である、五百ばかりの比丘たちと共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、イッチャーナンガラ〔村〕に到着し、イッチャーナンガラ〔村〕に住んでいる。イッチャーナンガラ〔村〕の密林において。また、まさに、彼に、貴君ゴータマに、このように、善き評価の声が上がっている。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明知と行ないの成就者であり、善き至達者であり、世〔の一切〕を知る者であり、無上なる者であり、調御されるべき人の馭者であり、天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である。彼は、天を含み、魔を含み、梵を含み、沙門や婆羅門を含む、この世〔の人々〕に、天〔の神〕や人間を含む人々に、自ら、証知して、実証して、〔法を〕知らせる。彼は、法(教え)を説示する──最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示する。また、まさに、善きかな、そのような形態の阿羅漢たちとの会見が有るのは』と。親愛なる者よ、アンバッタよ、さあ、あなたは、沙門ゴータマのいるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、沙門ゴータマのことを知りなさい。『あるいは、すなわち、彼に、貴君ゴータマに、〔評価の〕声が上がっているが、まさしく、存している、そのとおりであるのか、あるいは、すなわち、そのとおりでないのか。あるいは、すなわち、彼が、貴君ゴータマが、そのような者であるのか、あるいは、すなわち、そのような者でないのか』〔と〕。わたしたちは、彼のことを、貴君ゴータマのことを、そのとおりに見出すのだ」と。
「君よ、また、どのように、わたしは、彼のことを、貴君ゴータマのことを、そのとおりに知るのですか。『あるいは、すなわち、彼に、貴君ゴータマに、〔評価の〕声が上がっているが、まさしく、存している、そのとおりであるのか、あるいは、すなわち、そのとおりでないのか。あるいは、すなわち、彼が、貴君ゴータマが、そのような者であるのか、あるいは、すなわち、そのような者でないのか』」と。
「親愛なる者よ、アンバッタよ、まさに、わたしたちの諸々の呪文(聖典)において伝えられて来た、三十二の偉大なる人士の特相がある。それら〔の三十二の特相〕を具備した偉大なる人士には、二つの境遇(趣)だけが有り、他はない。それで、もし、家に居住するなら、転輪王として、法(正義)にかなう法(正義)の王として、四辺の征圧者として、地方の安定に至り得た者として、七つの宝を具備した者として、〔世に〕有る。彼には、これらの七つの宝が有る。それは、すなわち、この、車輪の宝であり、象の宝であり、馬の宝であり、宝珠の宝であり、婦女の宝であり、家長の宝であり、第七のものとして、まさしく、参謀の宝が。また、まさに、彼には、千を超える子たちが有る──勇者の肢体と形姿があり、他軍を撃破する、勇士たちが。彼は、海洋を極限とする、この地を、棒によらず、刃によらず、法(正義)によって征圧して、〔家に〕居住する。また、まさに、それで、もし、家から家なきへと出家するなら、阿羅漢と成り、正等覚者と〔成り〕、世における〔迷妄の〕覆いが開かれた者と〔成る〕。親愛なる者よ、アンバッタよ、また、まさに、わたしは、諸々の呪文の与え手であり、おまえは、諸々の呪文の受け手である」と。
「君よ、わかりました」と、まさに、アンバッタ学徒は、婆羅門のポッカラサーティに答えて、坐から立ち上がって、婆羅門のポッカラサーティを敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、騾馬車に乗って、大勢の学生たちと共に、イッチャーナンガラ〔村〕の密林のあるところに、そこへと進み行きました。およそ、乗物の〔行ける〕地があるかぎり、乗物によって赴いて、乗物から降りて、まさしく、徒歩の者となり、林園に入りました。また、まさに、その時点にあって、大勢の比丘たちが、野外において、歩行〔瞑想〕をしています。そこで、まさに、アンバッタ学徒は、それらの比丘たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの比丘たちに、こう言いました。「君よ、いったい、まさに、どこに、今現在、彼は、貴君ゴータマは住んでいますか。まさに、彼と、貴君ゴータマと会見するために、わたしたちは、ここに近づいて行ったのです」と。
そこで、まさに、それらの比丘たちに、この〔思い〕が有りました。「まさに、この者は、アンバッタ学徒は、まさしく、そして、証知された家系の者であり、さらに、証知された婆羅門のポッカラサーティの内弟子である。また、まさに、世尊にとって、このような形態の良家の子息たちを相手にする議論と談論は、負担なく有る」と。彼らは、アンバッタ学徒に、こう言いました。「アンバッタよ、この、戸が閉まっている精舎です。そこへと、音声少なく近づいて行って、急ぐことなく外縁に入って、咳払いをして、閂を打ち叩いてください。世尊は、あなたのために、戸を開くでしょう」と。
そこで、まさに、アンバッタ学徒は、その、戸が閉まっている精舎のあるところに、そこへと、音声少なく近づいて行って、急ぐことなく外縁に入って、咳払いをして、閂を打ち叩きました。世尊は、戸を開きました。アンバッタ学徒は、入りました。学生たちもまた入って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。また、アンバッタ学徒は、歩きながらもまた、坐っている世尊と、何らかの或る記憶されるべき話を交わし、立ちながらもまた、坐っている世尊と、何らかの或る記憶されるべき話を交わします。
そこで、まさに、世尊は、アンバッタ学徒に、こう言いました。「アンバッタよ、はてさて、あなたには、このように、年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠である、婆羅門たちを相手に議論と談論が有るのですか。すなわち、このように、歩きながら、立ちながら、坐っているわたしと、何らかの或る記憶されるべき話を交わします」と。
第一の卑俗の論
「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず。貴君ゴータマよ、なぜなら、あるいは、赴いている婆羅門は、赴いている婆羅門を相手に談論するのがふさわしいからです。貴君ゴータマよ、なぜなら、あるいは、立っている婆羅門は、立っている婆羅門を相手に談論するのがふさわしいからです。貴君ゴータマよ、なぜなら、あるいは、坐っている婆羅門は、坐っている婆羅門を相手に談論するのがふさわしいからです。貴君ゴータマよ、なぜなら、あるいは、臥している婆羅門は、臥している婆羅門を相手に談論するのがふさわしいからです。貴君ゴータマよ、しかしながら、すなわち、まさに、それらの坊主頭の似非沙門たちは、卑俗の黒き者たちであり、梵の足から生まれた者たちであり、わたしには、このように、また、彼らを相手に議論と談論が有ります。すなわち、貴君ゴータマとのように」と。「アンバッタよ、また、まさに、義(目的)ある者として、あなたに、ここへの到来が有ったのでは。また、まさに、まさしく、その義(目的)のために、〔あなたたちが〕到来するなら、まさしく、その義(目的)に、善くしっかりと意を為すべきです。君よ、また、まさに、まさしく、完成なくあるのに完成者と思量する、このアンバッタ学徒は、完成なくあることより他の、何だというのでしょう」と。
そこで、まさに、アンバッタ学徒は、〔彼のことを〕完成なくあるとする論によって、世尊によって、〔そのように〕説かれつつ、激情し、わが意を得ない者となり、「君よ、さてまた、わたしにとって、沙門ゴータマは、悪しき者として〔世に〕有るでしょう」と、まさしく、世尊を責めながら、まさしく、世尊を誹りながら、まさしく、世尊を批判しながら、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、釈迦〔族〕の生まれは、狂暴です。貴君ゴータマよ、釈迦〔族〕の生まれは、粗暴です。貴君ゴータマよ、釈迦〔族〕の生まれは、軽佻です。貴君ゴータマよ、釈迦〔族〕の生まれは、多弁です。卑俗の者たちとして〔世に〕存しながら、卑俗の者たちとして〔世に〕存しつつ、婆羅門たちを尊敬せず、婆羅門たちを尊重せず、婆羅門たちを思慕せず、婆羅門たちを供養せず、婆羅門たちを敬恭しません。貴君ゴータマよ、〔まさに〕その、このことは、適合ならず。貴君ゴータマよ、〔まさに〕その、このことは、適切ならず。すなわち、これらの釈迦〔族〕の者たちが、卑俗の者たちとして〔世に〕存しながら、卑俗の者たちとして〔世に〕存しつつ、婆羅門たちを尊敬せず、婆羅門たちを尊重せず、婆羅門たちを思慕せず、婆羅門たちを供養せず、婆羅門たちを敬恭しないのは」と。まさに、かくのごとく、アンバッタ学徒は、この第一の、釈迦〔族〕の者たちについての卑俗の論を浴びせました。
第二の卑俗の論
「アンバッタよ、また、何か、釈迦〔族〕の者たちが、あなたに反することをしたのですか」と。「貴君ゴータマよ、これは、或る時のことです。わたしは、師匠である婆羅門のポッカラサーティの何らかの或る用事によって、カピラヴァットゥに赴き、釈迦〔族〕の者たちの公会堂のあるところに、そこへと近づいて行きました。また、まさに、その時点にあって、大勢の、まさしく、そして、釈迦〔族〕の者たちが、さらに、釈迦〔族〕の少年たちが、公会堂において、諸々の高坐に坐った状態でいます。互いに他を指で突くことで高笑し遊び戯れながら、思うに、何はともあれ、まさしく、わたしのことを笑い興じながら、誰であれ、わたしを、坐にさえも招きません。貴君ゴータマよ、〔まさに〕その、このことは、適合ならず。貴君ゴータマよ、〔まさに〕その、このことは、適切ならず。すなわち、これらの釈迦〔族〕の者たちが、卑俗の者たちとして〔世に〕存しながら、卑俗の者たちとして〔世に〕存しつつ、婆羅門たちを尊敬せず、婆羅門たちを尊重せず、婆羅門たちを思慕せず、婆羅門たちを供養せず、婆羅門たちを敬恭しないのは」と。まさに、かくのごとく、アンバッタ学徒は、この第二の、釈迦〔族〕の者たちについての卑俗の論を浴びせました。
第三の卑俗の論
「アンバッタよ、まさに、鶉の雌鳥もまた、自らの巣において、欲するままにさえずる者と成ります。アンバッタよ、また、まさに、これは、釈迦〔族〕の者たちにとって、自らのものとしてあります。すなわち、この、カピラヴァットゥは。この少しばかりのことで、尊者たるアンバッタが憤るのは、ふさわしからず」と。「貴君ゴータマよ、これらの四つの階級があります。士族たちであり、婆羅門たちであり、庶民たちであり、隷民たちです。貴君ゴータマよ、まさに、これらの四つの階級のなかの三つの階級は、かつまた、士族たちは、かつまた、庶民たちは、かつまた、隷民たちは、何はともあれ、まさしく、婆羅門を世話する者たちとして〔世に〕成就します。貴君ゴータマよ、〔まさに〕その、このことは、適合ならず。貴君ゴータマよ、〔まさに〕その、このことは、適切ならず。すなわち、これらの釈迦〔族〕の者たちが、卑俗の者たちとして〔世に〕存しながら、卑俗の者たちとして〔世に〕存しつつ、婆羅門たちを尊敬せず、婆羅門たちを尊重せず、婆羅門たちを思慕せず、婆羅門たちを供養せず、婆羅門たちを敬恭しないのは」と。まさに、かくのごとく、アンバッタ学徒は、この第三の、釈迦〔族〕の者たちについての卑俗の論を浴びせました。
奴婢の子孫とする論
そこで、まさに、世尊に、この〔思い〕が有りました。「まさに、このアンバッタ学徒は、極めて激しく、釈迦〔族〕の者たちについて、卑俗の論によって侮辱する。それなら、さあ、わたしは、〔彼の〕姓を尋ねるのだ」と。そこで、まさに、世尊は、アンバッタ学徒に、こう言いました。「アンバッタよ、どのような姓の者として、〔あなたは〕存しますか」と。「貴君ゴータマよ、カンハ―ヤナとして、わたしは存します」と。「アンバッタよ、また、まさに、あなたの、過去の母と父の名と姓を隨念していると、〔あなたの〕主人として、釈迦〔族〕の者たちは有り、釈迦〔族〕の者たちの奴婢の子孫として、あなたは存します。アンバッタよ、また、まさに、釈迦〔族〕の者たちは、オッカーカ王(甘蔗王:古代の大王)を父祖と定めます。
アンバッタよ、過去の事ですが、オッカーカ王は、すなわち、その、愛しく意に適う王妃である彼女の子に、王権を譲ることを欲し、年上の王子たちを──オッカームカを、カラカンダを、ハッティニカを、シニスーラを──国土から追放しました。彼らは、国土から追放され、ヒマヴァント(ヒマラヤ)の山麓にある蓮池の、大いなるサーカ〔樹〕の茂みがある岸辺において、そこにおいて、住を営みました。彼らは、生まれの混入の恐怖あることから、自らの姉妹たちを相手に共住を営みました(血統の純潔を維持した)。
アンバッタよ、そこで、まさに、オッカーカ王は、家臣たちと侍臣たちに告げました。「君よ、いったい、まさに、どこで、今現在、王子たちは暮らしているのだ」と。「陛下よ、ヒマヴァントの山麓にある蓮池の、大いなるサーカ〔樹〕の茂みがある岸辺において、そこにおいて、今現在、王子たちは暮らしています。彼らは、生まれの混入の恐怖あることから、自らの姉妹たちを相手に共住を営みます」と。アンバッタよ、そこで、まさに、オッカーカ王は、感興〔の言葉〕を唱えました。「ああ、まさに、有能(サキャ)なるは、王子たちである。ああ、まさに、最高に有能なるは、王子たちである」と。アンバッタよ、また、まさに、それ以後、釈迦〔族〕(サキャ)の者たちが覚知されます──そして、彼(オッカーカ王)が、彼らの祖先として。
アンバッタよ、また、まさに、オッカーカ王には、ディサーという名の奴婢が有りました。彼女は、カンハ(黒き者)という名の者を生みました。生まれたカンハは、〔言葉を〕発しました。『母よ、わたしを洗い清めてください。母よ、わたしを沐浴させてください。わたしを、この不浄物から完全に解き放ってください。あなたたちにとって、義(利益)のために成るでしょう』と。アンバッタよ、また、まさに、すなわち、今現在、人間たちが、魔物たちを見て、『魔物たち』と呼称するように、アンバッタよ、まさしく、このように、まさに、また、まさに、その時点にあって、人間たちは、魔物たちのことを、『カンハたち』と呼称します。彼らは、このように言いました。『この生まれた者は、〔言葉を〕発した。カンハが生まれたのだ。魔物が生まれたのだ』と。アンバッタよ、また、まさに、それ以後、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちが覚知されます──そして、彼(カンハ)が、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちの祖先として。アンバッタよ、かくのごとく、まさに、あなたの、過去の母と父の名と姓を隨念していると、釈迦〔族〕の者たちが主人として有り、釈迦〔族〕の者たちの奴婢の子孫として、あなたは存します」と。
このように説かれたとき、それらの学生たちは、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマは、アンバッタを、極めて激しく、奴婢の子孫とする論によって侮辱してはいけません。貴君ゴータマよ、かつまた、アンバッタ学徒は、善き生まれの者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、良家の子息であり、かつまた、アンバッタ学徒は、多聞の者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、善き言葉遣いある者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、賢者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、貴君ゴータマを相手に、この言葉について応対することができます」と。
そこで、まさに、世尊は、それらの学生たちに、こう言いました。「学生たちよ、それで、もし、まさに、あなたたちに、このような〔思いが〕有るなら、『かつまた、アンバッタ学徒は、悪しき生まれの者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、良家の子息ならざる者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、少聞の者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、善き言葉遣いなき者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、智慧浅き者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、沙門ゴータマを相手に、この言葉について応対することができない』と、アンバッタ学徒のことはさておき、あなたたちが、わたしを相手に、この言葉について応対したまえ。学生たちよ、また、それで、もし、あなたたちに、このような〔思いが〕有るなら、『かつまた、アンバッタ学徒は、善き生まれの者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、良家の子息であり、かつまた、アンバッタ学徒は、多聞の者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、善き言葉遣いある者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、賢者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、沙門ゴータマを相手に、この言葉について応対することができる』と、あなたたちのことはさておき、アンバッタ学徒が、わたしを相手に、この言葉について応対したまえ」と。
「貴君ゴータマよ、かつまた、アンバッタ学徒は、善き生まれの者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、良家の子息であり、かつまた、アンバッタ学徒は、多聞の者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、善き言葉遣いある者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、賢者であり、かつまた、アンバッタ学徒は、貴君ゴータマを相手に、この言葉について応対することができます。わたしたちは、沈黙の者たちと成るでしょう。アンバッタ学徒は、貴君ゴータマを相手に、この言葉について応対したまえ」と。
そこで、まさに、世尊は、アンバッタ学徒に、こう言いました。「アンバッタよ、また、まさに、この法(真理)を共にする問いが、あなたにやってきます。欲することなくも、説き明かすべきです。それで、もし、あなたが説き明かさないなら、あるいは、他から他へとそらすなら、あるいは、沈黙の者と成るなら、あるいは、立ち去るなら、あなたの頭は、まさしく、この場において、七様に裂けるでしょう。アンバッタよ、それを、どう思いますか。どうでしょう、かくのごとく、あなたは聞きましたか。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠である、婆羅門たちが語っていることとして。カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちは、どこから始まり、そして、誰が、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちの祖先なのですか」と。
このように説かれたとき、アンバッタ学徒は、沈黙の者と成りました。再度また、まさに、世尊は、アンバッタ学徒に、こう言いました。「アンバッタよ、それを、どう思いますか。どうでしょう、かくのごとく、あなたは聞きましたか。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠である、婆羅門たちが語っていることとして。カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちは、どこから始まり、そして、誰が、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちの祖先なのですか」と。再度また、まさに、アンバッタ学徒は、沈黙の者と成りました。そこで、まさに、世尊は、アンバッタ学徒に、こう言いました。「アンバッタよ、今や、説き明かしなさい。今や、あなたが沈黙の状態でいるための時にあらず。アンバッタよ、その者が、まさに、如来によって、三度に至るまで、法(真理)を共にする問いを尋ねられ、説き明かさないなら、彼の頭は、まさしく、この場において、七様に裂けるでしょう」と。
また、まさに、その時点にあって、金剛を手にする夜叉が、燃え盛り、光り輝き、光を有するものと成った、大いなる鉄槌を携えて、アンバッタ学徒の宙空高く止住した状態でいます。「それで、もし、このアンバッタ学徒が、世尊によって、三度に至るまで、法(真理)を共にする問いを尋ねられ、説き明かさないなら、彼の頭を、まさしく、この場において、七様に裂くのだ」と。また、まさに、その金剛を手にする夜叉を、まさしく、そして、世尊は見ます──さらに、アンバッタ学徒も。
そこで、まさに、アンバッタ学徒は、恐怖し、畏怖する者となり、身の毛のよだちを生じ、まさしく、世尊を避難所として探し求める者となり、まさしく、世尊を救護所として探し求める者となり、まさしく、世尊を帰依所として探し求める者となり、近しく坐して、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマは、このことを、どう言いましたか。貴君ゴータマは、ふたたび説いてください」と。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。どうでしょう、かくのごとく、あなたは聞きましたか。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠である、婆羅門たちが語っていることとして。カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちは、どこから始まり、そして、誰が、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちの祖先なのですか」と。「貴君ゴータマよ、まさしく、このように、わたしは聞きました。まさしく、貴君ゴータマが言った、そのとおりに。その〔時〕から始まる者たちとして、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちはあります──そして、彼(カンハ)が、カンハ―ヤナ〔姓〕の者たちの祖先として」と。
アンバッタの系統の話
このように説かれたとき、それらの学生たちは、狂躁の者たちと〔成り〕、高い声をあげ大きな音をたてる者たちと成りました。「どうやら、まさに、アンバッタ学徒は、悪しき生まれの者であるらしい。どうやら、まさに、アンバッタ学徒は、良家の子息ならざる者であるらしい。どうやら、まさに、アンバッタ学徒は、釈迦〔族〕の者たちの奴婢の子孫であるらしい。どうやら、まさに、アンバッタ学徒の主人として、釈迦〔族〕の者たちは有るらしい。どうやら、わたしたちは、まさしく、法(真理)の論ある沙門ゴータマを、指弾するべきと思い考えていたらしい」と。
そこで、まさに、世尊に、この〔思い〕が有りました。「まさに、これらの学生たちは、アンバッタ学徒を、極めて激しく、奴婢の子孫とする論によって侮辱する。それなら、さあ、わたしは、〔彼を〕完全に解き放つのだ」と。そこで、まさに、世尊は、それらの学生たちに、こう言いました。「学生たちよ、まさに、あなたたちは、アンバッタ学徒を、極めて激しく、奴婢の子孫とする論によって侮辱してはいけません。彼は、カンハは、秀でた聖賢として〔世に〕有りました。彼は、南の地方に赴いて、諸々の婆羅門の呪文を学得して、オッカーカ王に、近づいて行って、娘のマッダルーピーを乞い求めました。彼に、オッカーカ王は、『はてさて、誰なのだ──このように、まあ、この者があるとは──わたしの奴婢の子として存しながら、娘のマッダルーピーを乞い求めるとは』と、激情し、わが意を得ない者となり、矢を装着しました。彼は、その矢を、まさしく、放つこともできず、外すことも〔でき〕ませんでした。
学生たちよ、そこで、まさに、家臣たちと侍臣たちは、近づいて行って、カンハ聖賢に、こう言いました。『あなたに、幸せ〔有れ〕。王に、安穏有れ。あなたに、幸せ〔有れ〕。王に、安穏有れ』と。『王に、安穏が有るであろう。そして、また、もしくは、王が、下に矢を放つなら、すなわち、王の領土としてあるかぎり、このかぎりにおいて、地は崩壊するであろう』と。『あなたに、幸せ〔有れ〕。王に、安穏有れ。地方に、安穏〔有れ〕』と。『王に、安穏が有るであろう。地方に、安穏が〔有るであろう〕。そして、また、もしくは、王が、上に矢を放つなら、すなわち、王の領土としてあるかぎり、このかぎりにおいて、七年のあいだ、天は、雨を降らせないであろう』と。『あなたに、幸せ〔有れ〕。王に、安穏有れ。地方に、安穏〔有れ〕。そして、天は、雨を降らせよ』と。『王に、安穏が有るであろう。地方に、安穏が〔有るであろう〕。そして、天は、雨を降らせるであろう。そして、また、王は、年上の王子に、矢を据え置きたまえ。王子は、安穏となり、安寧が有るであろう』と。学生たちよ、そこで、まさに、家臣たちと侍臣たちは、オッカーカに告げました。『王は、年上の王子に、矢を据え置きたまえ。王子は、安穏となり、安寧が有るでしょう』と。そこで、まさに、オッカーカ王は、年上の王子に、矢を据え置きました。王子は、安穏となり、安寧が発生しました。そこで、まさに、オッカーカ王は、恐怖し、畏怖する者となり、身の毛のよだちを生じ、梵の棒に怯え、彼に、娘のマッダルーピーを与えました。学生たちよ、まさに、あなたたちは、アンバッタ学徒を、極めて激しく、奴婢の子孫とする論によって侮辱してはいけません。彼は、カンハは、秀でた聖賢として〔世に〕有りました」と。
士族の最勝の状態
そこで、まさに、世尊は、アンバッタ学徒に告げました。「アンバッタよ、それを、どう思いますか。ここに、士族の少年が、婆羅門の少女を相手に共住を営み、彼らの共住に起因して、子が生まれるとします。すなわち、その、士族の少年によって婆羅門の少女から生起した子ですが、さて、いったい、彼は、婆羅門たちにおいて、あるいは、坐を、あるいは、水を、得るでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、得るでしょう」と。「さて、いったい、彼を、婆羅門たちは受益させるでしょうか──あるいは、祖霊祭において、あるいは、祭事において、あるいは、祭祀において、あるいは、饗宴において」と。「貴君ゴータマよ、受益させるでしょう」と。「さて、いったい、彼に、婆羅門たちは、諸々の呪文を、あるいは、教授できますか、あるいは、〔教授でき〕ませんか」と。「貴君ゴータマよ、教授できます」と。「さて、いったい、彼に、婦女たちにおいて、あるいは、謝絶が存するでしょうか、あるいは、謝絶なきが〔存するでしょうか〕」と。「貴君ゴータマよ、まさに、謝絶なきが存するでしょう」と。「さて、いったい、彼を、士族たちは、士族の灌頂によって灌頂できるでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「貴君ゴータマよ、なぜなら、〔士族の〕母から生起した者ではないからです」と。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。ここに、婆羅門の少年が、士族の少女を相手に共住を営み、彼らの共住に起因して、子が生まれるとします。すなわち、その、婆羅門の少年によって士族の少女から生起した子ですが、さて、いったい、彼は、婆羅門たちにおいて、あるいは、坐を、あるいは、水を、得るでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、得るでしょう」と。「さて、いったい、彼を、婆羅門たちは受益させるでしょうか──あるいは、祖霊祭において、あるいは、祭事において、あるいは、祭祀において、あるいは、饗宴において」と。「貴君ゴータマよ、受益させるでしょう」と。「さて、いったい、彼に、婆羅門たちは、諸々の呪文を、あるいは、教授できますか、あるいは、〔教授でき〕ませんか」と。「貴君ゴータマよ、教授できます」と。「さて、いったい、彼に、婦女たちにおいて、あるいは、謝絶が存するでしょうか、あるいは、謝絶なきが〔存するでしょうか〕」と。「貴君ゴータマよ、まさに、謝絶なきが存するでしょう」と。「さて、いったい、彼を、士族たちは、士族の灌頂によって灌頂できるでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「貴君ゴータマよ、なぜなら、〔士族の〕父から生起した者ではないからです」と。
「アンバッタよ、かくのごとく、まさに、あるいは、女〔の観点〕よって、女を〔妻と〕為しても、男〔の観点〕よって、男を〔夫と〕為しても、まさしく、士族たちは、最勝であり、婆羅門たちは、劣っているのです。アンバッタよ、それを、どう思いますか。ここに、婆羅門たちが、婆羅門を、何らかの或る名目において、剃刀で剃髪を為して、灰袋で打って、あるいは、国土から、あるいは、城市から、追放するとします。さて、いったい、彼は、婆羅門たちにおいて、あるいは、坐を、あるいは、水を、得るでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「さて、いったい、彼を、婆羅門たちは受益させるでしょうか──あるいは、祖霊祭において、あるいは、祭事において、あるいは、祭祀において、あるいは、饗宴において」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「さて、いったい、彼に、婆羅門たちは、諸々の呪文を、あるいは、教授できますか、あるいは、〔教授でき〕ませんか」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「さて、いったい、彼に、婦女たちにおいて、あるいは、謝絶が存するでしょうか、あるいは、謝絶なきが〔存するでしょうか〕」と。「貴君ゴータマよ、まさに、謝絶が存するでしょう」と。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。ここに、士族たちが、士族を、何らかの或る名目において、剃刀で剃髪を為して、灰袋で打って、あるいは、国土から、あるいは、城市から、追放するとします。さて、いったい、彼は、婆羅門たちにおいて、あるいは、坐を、あるいは、水を、得るでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、得るでしょう」と。「さて、いったい、彼を、婆羅門たちは受益させるでしょうか──あるいは、祖霊祭において、あるいは、祭事において、あるいは、祭祀において、あるいは、饗宴において」と。「貴君ゴータマよ、受益させるでしょう」と。「さて、いったい、彼に、婆羅門たちは、諸々の呪文を、あるいは、教授できますか、あるいは、〔教授でき〕ませんか」と。「貴君ゴータマよ、教授できます」と。「さて、いったい、彼に、婦女たちにおいて、あるいは、謝絶が存するでしょうか、あるいは、謝絶なきが〔存するでしょうか〕」と。「貴君ゴータマよ、まさに、謝絶なきが存するでしょう」と。
「アンバッタよ、このかぎりにおいて、まさに、士族は、最高の下劣性に至り得た者と成ります──まさしく、すなわち、彼を、士族たちが、剃刀で剃髪を為して、灰袋で打って、あるいは、国土から、あるいは、城市から、追放するなら。アンバッタよ、かくのごとく、まさに、すなわち、士族が、最高の下劣性に至り得た者と成るとき、そのときでさえも、士族たちは、最勝であり、婆羅門たちは、劣っているのです。アンバッタよ、梵〔天〕のサナンクマーラによってもまた、この詩偈が語られました。
〔すなわち〕『彼らが、氏姓を支えとする者たちであるなら、その人々においては、士族(王)が最勝の者となる。天〔の神〕と人間においては、明知と行ないの成就者が、彼が、最勝の者となる』と。
アンバッタよ、また、まさに、その、この詩偈は、梵〔天〕のサナンクマーラによって、善く歌われたものであり、悪しく歌われたものではなく、善く語られたものであり、悪しく語られたものではなく、義(利益)を伴ったものであり、義(利益)を伴わないものではなく、わたしによって許認されたものです。アンバッタよ、まさに、わたしもまた、このように説きます。
〔すなわち〕『彼らが、氏姓を支えとする者たちであるなら、その人々においては、士族(王)が最勝の者となる。天〔の神〕と人間においては、明知と行ないの成就者が、彼が、最勝の者となる』」と。
〔以上が〕第一の朗読分となる。
明知と行ないの話
「貴君ゴータマよ、また、どのようなものが、その行ないであり、また、そして、どのようなものが、その明知なのですか」と。「アンバッタよ、まさに、無上なる明知と行ないの成就のために、『あるいは、あなたは、わたしに値する。あるいは、あなたは、わたしに値しない』と、あるいは、出生の論が説かれることも、あるいは、氏姓の論が説かれることも、あるいは、思量(慢:自我意識)の論が説かれることも、ありません。アンバッタよ、そこにおいて、まさに、あるいは、嫁とりが有り、あるいは、嫁やりが有り、あるいは、嫁とりと嫁やりが有るなら、ここにおいて、この、『あるいは、あなたは、わたしに値する。あるいは、あなたは、わたしに値しない』と、あるいは、出生の論が、かくのごとくもまた、あるいは、氏姓の論が、かくのごとくもまた、あるいは、思量の論が、かくのごとくもまた、説かれます。アンバッタよ、まさに、彼らが誰であれ、あるいは、出生の論に結縛され、あるいは、氏姓の論に結縛され、あるいは、思量の論に結縛されたなら、あるいは、嫁とりと嫁やりに結縛されたなら、彼らは、無上なる明知と行ないの成就から遠く離れています。アンバッタよ、まさに、かつまた、出生の論に結縛されたものを、かつまた、氏姓の論に結縛されたものを、かつまた、思量の論に結縛されたものを、かつまた、嫁とりと嫁やりに結縛されたものを、〔それらを〕捨棄して、無上なる明知と行ないの実証が有ります」と。
「貴君ゴータマよ、また、どのようなものが、その行ないであり、また、そして、どのようなものが、その明知なのですか」と。「アンバッタよ、ここに、如来が、阿羅漢として、正等覚者として、明知と行ないの成就者として、善き至達者として、世〔の一切〕を知る者として、無上なる者として、調御されるべき人の馭者として、天〔の神々〕と人間たちの教師として、覚者として、世尊として、世に生起します。彼は、天を含み、魔を含み、梵を含み、沙門や婆羅門を含む、この世〔の人々〕に、天〔の神〕や人間を含む人々に、自ら、証知して、実証して、〔法を〕知らせます。彼は、法(教え)を説示します──最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。その法(教え)を、あるいは、家長が、あるいは、家長の子が、あるいは、或るどこかの家に生まれ落ちた者が、聞きます。彼は、その法(教え)を聞いて、如来にたいする信を獲得します。彼は、その信の獲得を具備した者として、かくのごとく深慮します。……略……(すなわち、191等々が断絶なくあるように、このように詳知されるべきである)。
彼は、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し、〔微細なる〕想念を有し、遠離から生じる喜悦と安楽がある、第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。……略……。これもまた、彼の行ないのうちに有ります。
アンバッタよ、さらに、また、他に、比丘が、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから、内なる清信あり、心の専一なる状態あり、思考なく、想念なく、禅定から生じる喜悦と安楽がある、第二の瞑想を成就して〔世に〕住みます。……略……。これもまた、彼の行ないのうちに有ります。
アンバッタよ、さらに、また、他に、比丘が、さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知し、すなわち、その者のことを、聖者たちが、『放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である』と告げ知らせるところの、第三の瞑想を成就して〔世に〕住みます。……略……。これもまた、彼の行ないのうちに有ります。
アンバッタよ、さらに、また、他に、比丘が、かつまた、安楽の捨棄あることから、かつまた、苦痛の捨棄あることから、まさしく、過去において、悦意と失意の滅至あることから、苦でもなく楽でもない、放捨による気づきの完全なる清浄たる、第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。……略……。これもまた、彼の行ないのうちに有ります。アンバッタよ、これが、まさに、その行ないとなります。
アンバッタよ、彼は、このように、心が、定められたものとなり、完全なる清浄にして完全なる清白のものとなり、穢れなきものとなり、付随する〔心の〕汚れが離れ去ったものとなり、柔和と成ったものとなり、行為に適するものとなり、安立し不動に至り得たものとなるとき、〔あるがままの〕知見〔の獲得〕のために、心を導引し、向かわせます。……略……。これもまた、彼の明知のうちに有ります。……略……。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します。これもまた、彼の明知のうちに有ります。アンバッタよ、これが、まさに、その明知となります。
アンバッタよ、この比丘は、『明知の成就者』ともまた〔説かれ〕、『行ないの成就者』ともまた〔説かれ〕、『明知と行ないの成就者』ともまた説かれます。アンバッタよ、そして、明知の成就より、さらに、行ないの成就より、これより他の、そして、明知の成就で、さらに、行ないの成就で、あるいは、より上なるものも、あるいは、より精妙なるものも、存在しません。
四つの離去の門
アンバッタよ、この無上なる明知と行ないの成就には、四つの離去の門が有ります。どのようなものが、四つのものなのですか。アンバッタよ、ここに、一部の、あるいは、沙門は、あるいは、婆羅門は、まさしく、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、カーリ(升目の単位・一石)の天秤棒を担いで、林地や林野に深く分け入ります。『落ちた果を受益する者と成るのだ』と。彼は、何はともあれ、まさしく、明知と行ないの成就者の侍者として成就します(それだけのことである)。アンバッタよ、まさに、この無上なる明知と行ないの成就には、この第一の離去の門が有ります。
アンバッタよ、さらに、また、他に、ここに、一部の、あるいは、沙門は、あるいは、婆羅門は、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、さらに、落ちた果の受益をできずにいながら、鋤と籠を携えて、林地や林野に深く分け入ります。『塊茎や根や果を受益する者と成るのだ』と。彼は、何はともあれ、まさしく、明知と行ないの成就者の侍者として成就します。アンバッタよ、まさに、この無上なる明知と行ないの成就には、この第二の離去の門が有ります。
アンバッタよ、さらに、また、他に、ここに、一部の、あるいは、沙門は、あるいは、婆羅門は、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、かつまた、落ちた果の受益をできずにいながら、さらに、塊茎や根やの受益をできずにいながら、あるいは、村の近隣に、あるいは、町の近隣に、祭火堂を作って、祭火を世話しながら暮らします。彼は、何はともあれ、まさしく、明知と行ないの成就者の侍者として成就します。アンバッタよ、まさに、この無上なる明知と行ないの成就には、この第三の離去の門が有ります。
アンバッタよ、さらに、また、他に、ここに、一部の、あるいは、沙門は、あるいは、婆羅門は、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、かつまた、落ちた果の受益をできずにいながら、かつまた、塊茎や根やの受益をできずにいながら、さらに、祭火の世話をできずにいながら、大きな四つ辻において、四つの門ある家を作って暮らします。『すなわち、これらの四つの方角から、あるいは、沙門が、あるいは、婆羅門が、やってくるなら、わたしは、彼を、能のままに、力のままに、供養するのだ』と。彼は、何はともあれ、まさしく、明知と行ないの成就者の侍者として成就します。アンバッタよ、まさに、この無上なる明知と行ないの成就には、この第四の離去の門が有ります。アンバッタよ、まさに、この無上なる明知と行ないの成就には、これらの四つの離去の門が有ります。
アンバッタよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたは、この無上なる明知と行ないの成就〔の観点〕によって、〔自身が〕現見されますか──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず。貴君ゴータマよ、さてまた、わたしが、何だというのでしょう──師匠を有する者として。かつまた、どうして、無上なる明知と行ないの成就があるというのでしょう。貴君ゴータマよ、わたしは、無上なる明知と行ないの成就から遠く離れています──師匠を有する者として」と。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたは、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、カーリの天秤棒を担いで、林地や林野に深く分け入ったことがありますか──師匠を有する者として。『落ちた果を受益する者と成るのだ』」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたは、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、さらに、落ちた果の受益をできずにいながら、鋤と籠を携えて、林地や林野に深く分け入ったことがありますか──師匠を有する者として。『塊茎や根や果を受益する者と成るのだ』」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたは、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、かつまた、落ちた果の受益をできずにいながら、さらに、塊茎や根やの受益をできずにいながら、あるいは、村の近隣に、あるいは、町の近隣に、祭火堂を作って、祭火を世話しながら暮らしたことがありますか──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「アンバッタよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたは、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就をできずにいながら、かつまた、落ちた果の受益をできずにいながら、かつまた、塊茎や根やの受益をできずにいながら、さらに、祭火の世話をできずにいながら、大きな四つ辻において、四つの門ある家を作って暮らしたことがありますか──師匠を有する者として。『すなわち、これらの四つの方角から、あるいは、沙門が、あるいは、婆羅門が、やってくるなら、わたしは、彼を、能のままに、力のままに、供養するのだ』」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「アンバッタよ、かくのごとく、まさに、あなたは、まさしく、そして、この無上なる明知と行ないの成就〔の観点〕によって遍く劣っているのです──師匠を有する者として。さらに、すなわち、これらの四つの離去の門が、無上なる明知と行ないの成就〔の観点〕によって有るとして、そして、あなたは、それよりも遍く劣っているのです──師匠を有する者として。アンバッタよ、また、まさに、この言葉が、あなたの師匠である婆羅門のポッカラサーティによって語られました。『さてまた、坊主頭の似非沙門たちが何だというのだ──卑俗の黒き者たちであり、梵の足から生まれた者たちである。さてまた、どうして、三つのヴェーダある婆羅門たちとの論議があるというのだろう』と、自己みずから、円満成就していない、離去ある者であるもまた。アンバッタよ、見なさい──さてまた、すなわち、これほどまでに、あなたの師匠である婆羅門のポッカラサーティには、〔理に〕反するものがあるのです。
往古の聖賢たちの専念〔努力〕の状態
アンバッタよ、また、まさに、師匠である婆羅門のポッカラサーティは、コーサラ〔国〕のパセーナディ王の施鉢を受益します。彼に、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、面前の状態さえも与えません。すなわち、また、彼と話し合うときも、布越しに話し合います。アンバッタよ、また、まさに、すなわち、法(正義)にかなうものとして出された行乞〔の施食〕を納受する、〔その〕彼に、どうして、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、面前の状態さえも与えないのでしょう。アンバッタよ、見なさい──さてまた、すなわち、これほどまでに、あなたの師匠である婆羅門のポッカラサーティには、〔理に〕反するものがあるのです。
アンバッタよ、それを、どう思いますか。ここに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王が、あるいは、象の首に坐り、あるいは、馬の背に坐り、車の敷物に立ち、あるいは、高貴の者たちと、あるいは、王族たちと、何らかの或る相談事を話し合うとします。彼が、その場所から立ち去って、一方に立つとします。そこで、あるいは、隷民が、あるいは、隷民の奴隷が、やってきて、その場所に立ち、まさしく、その相談事を話し合うとします。『このようにもまた、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は言った。このようにもまた、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は言った』と。さて、いったい、彼が、あるいは、王の話したことを話し、あるいは、王の相談事を話し合うとして、彼は、このことから、あるいは、王として、あるいは、王臣として、〔世に〕存するでしょうか」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「アンバッタよ、まさしく、このように、まさに、あなたもあります。すなわち、〔世に〕有った、それらの者たちが、婆羅門たちにとって、往古の聖賢たちであり、諸々の呪文の作り手たちであり、諸々の呪文の伝授者たちであるなら、今現在、婆羅門たちは、それらの者たちのものである、〔まさに〕この、過去の呪文の句を、〔過去に〕歌われ説かれ編集されたものとして、それに従って歌い、それに従って語り、語られたものに従って語り、教授されたものに従って教授します──それは、すなわち、この、アッタカであり、ヴァーマカであり、ヴァーマデーヴァであり、ヴェッサーミッタであり、ヤマタッギであり、アンギーラサであり、バーラドヴァージャであり、ヴァーセッタであり、カッサパであり、バグです。『それらの呪文を、わたしは学得する──師匠を有する者として』と。そのことから、あなたが、あるいは、聖賢と〔成り〕、あるいは、聖賢の義(目的)のために実践する者と成るであろう、という、この状況は見出されません。
アンバッタよ、それを、どう思いますか。どうでしょう、かくのごとく、あなたは聞きましたか。年長となり、老練にして、師匠のなかの大師匠である、婆羅門たちが語っていることとして。すなわち、〔世に〕有った、それらの者たちが、婆羅門たちにとって、往古の聖賢たちであり、諸々の呪文の作り手たちであり、諸々の呪文の伝授者たちであるなら、今現在、婆羅門たちは、それらの者たちのものである、〔まさに〕この、過去の呪文の句を、〔過去に〕歌われ説かれ編集されたものとして、それに従って歌い、それに従って語り、語られたものに従って語り、教授されたものに従って教授します──それは、すなわち、この、アッタカであり、ヴァーマカであり、ヴァーマデーヴァであり、ヴェッサーミッタであり、ヤマタッギであり、アンギーラサであり、バーラドヴァージャであり、ヴァーセッタであり、カッサパであり、バグです。いったい、彼らは、このように、善く沐浴し、善く塗油し、髪と髭を整え、白い衣をまとい、五つの欲望の属性を供与され、保有する者たちと成り、〔それらを〕楽しみますか。それは、たとえば、また、あなたが、今現在あるように──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「……略……。いったい、彼らは、このように、清らかな肉の汁を注ぎ黒米を選り分けた諸々の米の飯と幾多の汁と幾多の香味を遍く受益しますか。それは、たとえば、また、あなたが、今現在あるように──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「……略……。いったい、彼らは、このように、〔両の〕脇に房飾りをつけた女たちと楽しみますか。それは、たとえば、また、あなたが、今現在あるように──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「……略……。いったい、彼らは、このように、尾毛が手入れされた諸々の騾馬車で、諸々の長い鞭杖で運び手たちを打ちながら、乗り回しますか。それは、たとえば、また、あなたが、今現在あるように──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「……略……。いったい、彼らは、このように、諸々の堀が掘られ、諸々の閂が落とされ、諸々の城市の防備あるなかで、長剣や武器をもつ人たちに守らせますか。それは、たとえば、また、あなたが、今現在あるように──師匠を有する者として」と。「貴君ゴータマよ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。
「アンバッタよ、かくのごとく、まさに、あなたは、まさしく、聖賢ではなく、聖賢の義(目的)のために実践する者でもありません──師匠を有する者として。アンバッタよ、また、まさに、その者に、わたしについて、あるいは、疑いがあり、あるいは、疑問があるなら、彼は、わたしに、問いによって〔尋ねるべきです〕。わたしは、説き明かしによって〔疑いを〕清めるでしょう」と。
二つの特相の見なきこと
そこで、まさに、世尊は、精舎から出て、歩行場に上がりました。アンバッタ学徒もまた、精舎から出て、歩行場に上がりました。そこで、まさに、アンバッタ学徒は、歩行〔瞑想〕をしている世尊に従って歩行〔瞑想〕をしながら、世尊の身体において、三十二の偉大なる人士の特相を調べました。まさに、アンバッタ学徒は、世尊の身体において、三十二の偉大なる人士の特相を、二つを除いて、多くのところとして見ました。そして、覆蔵された衣の陰部(陰馬蔵)について、さらに、広くて長い舌(広長舌)について、二つの偉大なる人士の特相について、〔彼は〕疑い、疑惑し、信念せず、正しく清信しません。
そこで、まさに、世尊に、この〔思い〕が有りました。「この者は、アンバッタ学徒は、まさに、わたしの、三十二の偉大なる人士の特相を、二つを除いて、多くのところとして見る。そして、覆蔵された衣の陰部について、さらに、広くて長い舌について、二つの偉大なる人士の特相について、〔彼は〕疑い、疑惑し、信念せず、正しく清信しない」と。そこで、まさに、世尊は、すなわち、アンバッタ学徒が、世尊の覆蔵された衣の陰部を見たかのように、そのような形態の神通の行作を行作しました。そこで、まさに、世尊は、舌を出して、両の耳孔ともども、順に触れ逆に触れ、両の鼻孔ともども、順に触れ逆に触れ、額の円輪を、全部もろともに、舌で覆い隠しました。そこで、まさに、アンバッタ学徒に、この〔思い〕が有りました。「まさに、沙門ゴータマは、三十二の偉大なる人士の特相を、円満成就したものとして具備している──円満成就していないものとして、ではなく」と。〔彼は〕世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、さあ、では、今や、わたしたちは赴きます。わたしたちは、多くの義務があり、多くの用事があるのです」と。「アンバッタよ、今が、そのための時と、あなたが思うのなら〔思いのままに〕」と。そこで、まさに、アンバッタ学徒は、騾馬車に乗って、立ち去りました。
また、まさに、その時点にあって、婆羅門のポッカラサーティは、ウッカッターから出て、大いなる婆羅門の衆徒と共に、自らの林園において、坐った状態でいます──まさしく、アンバッタ学徒を待ち望みながら。そこで、まさに、アンバッタ学徒は、自らの林園のあるところに、そこへと進み行きました。およそ、乗物の〔行ける〕地があるかぎり、乗物によって赴いて、乗物から降りて、まさしく、徒歩の者となり、婆羅門のポッカラサーティのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、婆羅門のポッカラサーティを敬拝して、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、アンバッタ学徒に、婆羅門のポッカラサーティは、こう言いました。「親愛なる者よ、アンバッタよ、どうであろう、彼を、貴君ゴータマを見たか」と。「君よ、まさに、わたしたちは、彼を、貴君ゴータマを見ました」と。「親愛なる者よ、アンバッタよ、どうであろう、彼に、貴君ゴータマに、〔評価の〕声が上がっているが、まさしく、存している、そのとおりであるか──他なるものではなく。また、どうであろう、彼は、貴君ゴータマは、そのような者であるか──他のような者ではなく」と。「君よ、彼に、貴君ゴータマに、〔評価の〕声が上がっていますが、まさしく、存している、そのとおりです──他なるものではなく。彼は、貴君ゴータマは、まさしく、そのような者です──他のような者ではなく。そして、彼は、貴君ゴータマは、三十二の偉大なる人士の特相を、円満成就し、円満成就ならざるところなく、具備しています」と。「親愛なる者よ、アンバッタよ、また、あなたに、沙門ゴータマを相手に、何らかの或る議論と談論が有ったか」と。「君よ、また、わたしに、沙門ゴータマを相手に、何らかの或る議論と談論が有りました」と。「親愛なる者よ、アンバッタよ、また、すなわち、どのように、あなたに、沙門ゴータマを相手に、何らかの或る議論と談論が有ったか」と。そこで、まさに、アンバッタ学徒は、すなわち、世尊を相手に議論と談論として有ったかぎりの、その全てを、婆羅門のポッカラサーティに告げました。
このように説かれたとき、婆羅門のポッカラサーティは、アンバッタ学徒に、こう言いました。「ああ、まさに、まあ、わたしたちの似非賢者よ。ああ、まさに、まあ、わたしたちの似非多聞よ。ああ、まさに、まあ、わたしたちの似非三明者よ。ああ、まさに、このような形態の義(目的)の行ないによって、人は、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生するのだ。アンバッタよ、まさしく、すなわち、まさに、おまえが、彼に、貴君ゴータマに、このように襲っては襲って説いたので、そこで、まさに、彼は、貴君ゴータマは、わたしたちにもまた、このように導いては導いて説いたのだ。ああ、まさに、まあ、わたしたちの似非賢者よ。ああ、まさに、まあ、わたしたちの似非多聞よ。ああ、まさに、まあ、わたしたちの似非三明者よ。ああ、まさに、このような形態の義(目的)の行ないによって、人は、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生するのだ」と。〔彼は〕激情し、わが意を得ない者となり、アンバッタ学徒を、まさしく、足で蹴倒しました。そして、まさしく、ただちに、世尊と会見するために近づいて行くことを求めます。
ポッカラサーティの覚者のもとへの来参
そこで、まさに、それらの婆羅門たちは、婆羅門のポッカラサーティに、こう言いました。「君よ、まさに、今日、沙門ゴータマと会見するために近づいて行くには、極めて非時です。今や、貴君ポッカラサーティは、明日、沙門ゴータマと会見するために近づいて行くのです」と。そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、自らの住居地において、上質の固形の食料や軟らかい食料を準備して、車に載せて、諸々の松明が保持されるなか、ウッカッターから出発し、イッチャーナンガラ〔村〕の密林のあるところに、そこへと進み行きました。およそ、乗物の〔行ける〕地があるかぎり、乗物によって赴いて、乗物から降りて、まさしく、徒歩の者となり、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、さてまた、まさに、ここに、わたしどもの内弟子であるアンバッタ学徒がやってきましたか」と。「婆羅門よ、まさに、あなたの内弟子であるアンバッタ学徒がやってきました」と。「貴君ゴータマよ、また、あなたに、アンバッタ学徒を相手に、何らかの或る議論と談論が有りましたか」と。「婆羅門よ、まさに、わたしに、アンバッタ学徒を相手に、何らかの或る議論と談論が有りました」と。「貴君ゴータマよ、また、すなわち、どのように、あなたに、アンバッタ学徒を相手に、何らかの或る議論と談論が有りましたか」と。そこで、まさに、世尊は、すなわち、アンバッタ学徒を相手に議論と談論として有ったかぎりの、その全てを、婆羅門のポッカラサーティに告げました。このように説かれたとき、婆羅門のポッカラサーティは、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、アンバッタ学徒は、愚者です。貴君ゴータマは、アンバッタ学徒をお許しください」と。「婆羅門よ、アンバッタ学徒は、安楽の者と成れ」と。
そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、世尊の身体において、三十二の偉大なる人士の特相を調べました。まさに、婆羅門のポッカラサーティは、世尊の身体において、三十二の偉大なる人士の特相を、二つを除いて、多くのところとして見ました。そして、覆蔵された衣の陰部について、さらに、広くて長い舌について、二つの偉大なる人士の特相について、〔彼は〕疑い、疑惑し、信念せず、正しく清信しません。
そこで、まさに、世尊に、この〔思い〕が有りました。「この者は、婆羅門のポッカラサーティは、まさに、わたしの、三十二の偉大なる人士の特相を、二つを除いて、多くのところとして見る。そして、覆蔵された衣の陰部について、さらに、広くて長い舌について、二つの偉大なる人士の特相について、〔彼は〕疑い、疑惑し、信念せず、正しく清信しない」と。そこで、まさに、世尊は、すなわち、婆羅門のポッカラサーティが、世尊の覆蔵された衣の陰部を見たかのように、そのような形態の神通の行作を行作しました。そこで、まさに、世尊は、舌を出して、両の耳孔ともども、順に触れ逆に触れ、両の鼻孔ともども、順に触れ逆に触れ、額の円輪を、全部もろともに、舌で覆い隠しました。
そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティに、この〔思い〕が有りました。「まさに、沙門ゴータマは、三十二の偉大なる人士の特相を、円満成就したものとして具備している──円満成就していないものとして、ではなく」と。〔彼は〕世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマは、比丘の僧団と共に、今日、わたしの食事〔の布施〕をお受けください」と。世尊は、沈黙の状態をもって承諾しました。
そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、世尊の承諾を見出して、世尊に、時を告げました。「貴君ゴータマよ、時間です。食事ができました」と。そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、比丘の僧団と共に、婆羅門のポッカラサーティの住居地(食事場)のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、世尊を、上質の固形の食料や軟らかい食料で満足させ、自らの手で給仕しました──学生たちもまた、比丘の僧団を。そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、世尊が食事を終え、鉢から手を離すと、或るどこかの下坐を収め取って、一方に坐りました。
一方に坐った、まさに、婆羅門のポッカラサーティに、世尊は、〔適切な〕順序にもとづく講話(次第説法)を話しました。それは、すなわち、この、布施についての講話を、戒についての講話を、天上についての講話を、諸々の欲望〔の対象〕の危険と卑賎と汚染を、離欲における福利を、〔順次に〕明示しました。世尊は、婆羅門のポッカラサーティのことを、健全なる心の者と、柔和なる心の者と、妨げを離れる心の者と、勇躍する心の者と、清信した心の者と、了知した、そのとき、そこで、すなわち、覚者たちにとっての、高尚なる法(教え)の説示としてある、〔まさに〕その、苦しみと〔苦しみの〕集起と〔苦しみの〕止滅と〔苦しみの止滅のための〕道を明示しました。それは、たとえば、また、まさに、汚れを落とした清浄の衣が、まさしく、正しく、染料を吸収するように、まさしく、このように、婆羅門のポッカラサーティに、まさしく、その坐において、〔世俗の〕塵を離れ、〔世俗の〕垢を離れた、法(真理)の眼が生起しました。「それが何であれ、集起の法(性質)であるなら、その全てが、止滅の法(性質)である」と。
ポッカラサーティの在俗信者たることの宣言
そこで、まさに、婆羅門のポッカラサーティは、法(真理)を見た者となり、法(真理)に至り得た者となり、法(真理)を見出した者となり、法(真理)を深解した者となり、疑惑を超え渡った者となり、懐疑を離れ去った者となり、離怖に至り得た者となり、教師の教えにおいて他を縁としない者となり、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。貴君ゴータマよ、すばらしいことです。貴君ゴータマよ、それは、たとえば、また、あるいは、倒れたものを起こすかのように、あるいは、覆われたものを開くかのように、あるいは、迷う者に道を告げ知らせるかのように、あるいは、暗黒のなかで油の灯火を保つかのように、『眼ある者たちは、諸々の形態を見る』と、まさしく、このように、貴君ゴータマによって、無数の教相によって、法(真理)が明示されました。貴君ゴータマよ、〔まさに〕この、わたしは、子と共に、妻と共に、衆と共に、僚友と共に、貴君ゴータマを帰依所に赴きます──そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を。貴君ゴータマは、わたしを、在俗信者として認めてください──今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として。そして、すなわち、貴君ゴータマが、ウッカッターにおいて、他の在俗信者の家々へと近づいて行くように、まさしく、このように、貴君ゴータマは、ポッカラサーティの家へと近づいて行きたまえ。そこにおいて、すなわち、それらの、あるいは、学生たちが、あるいは、女学生たちが、貴君ゴータマを、あるいは、敬拝するでしょうし、あるいは、奉仕するでしょうし、あるいは、坐を、あるいは、水を、あるいは、施すでしょうし、あるいは、心を清信させるでしょう。それは、彼らにとって、長夜にわたり、利益のために〔成り〕、安楽のために成るでしょう」と。「婆羅門よ、善きことが説かれます」と。
アンバッタの経は終了となり、〔以上が〕第三となる。
注釈【3】
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