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翻訳【19】

大衣の端の経

まさに、このことが、世尊によって説かれ、阿羅漢によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。

「比丘たちよ、たとえ、もし、比丘が、〔わたしの〕大衣の端を掴んで、背後から背後へと付き従い、〔わたしの〕〔の跡〕に、彼の足を置きつつあるも、しかしながら、彼が、強欲〔の思い〕ある者として、諸々の欲望〔の対象〕にたいし強烈な貪欲〔の思い〕ある者として、憎悪している心の者として、汚れた意と思惟ある者として、気づきが忘却された者として、正知なき者として、〔心が〕定められていない者として、混迷した心の者として、〔感官の〕機能の現じ顕われるままの者(自制なく節操なき者)として、〔世に〕有るなら、そこで、まさに、彼は、わたしにとって、まさしく、遠く離れているのであり、そして、わたしも、彼にとって〔遠く離れているのです〕。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、その比丘は、法(真理)を見ないからです。法(真理)を見ずにいる者は、わたしを見ません。

比丘たちよ、たとえ、もし、その比丘が、百ヨージャナ由旬:長さの単位・軛牛の一日の旅程距離)のところに住むも、しかしながら、彼が、強欲〔の思い〕なき者として、諸々の欲望〔の対象〕にたいし強烈な貪欲〔の思い〕なき者として、心に憎悪〔の思い〕なき者として、汚れた意と思惟なき者として、気づきが現起された者として、正知の者として、〔心が〕定められた者として、一境心の者として、〔感官の〕機能が統御された者として、〔世に〕有るなら、そこで、まさに、彼は、わたしにとって、まさしく、現前にあり、わたしも、彼にとって、〔まさしく、現前にあります〕。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、その比丘は、法(真理)を見るからです。法(真理)を見ている者は、わたしを見ます」と、この義(道理)を、世尊は説きました。そこにおいて、このことは、かくのごとく説かれます。

「たとえ、もし、〔わたしに〕付き従う者として〔世に〕存するも、かつまた、大いなる欲求ある者であり、悩苦ある者であるなら、彼が⸺動揺〔の思い〕に従い行く者が、動揺なき者にとって、涅槃に到達していない者が、涅槃に到達した者にとって、貪求ある者が、貪求を離れた者にとって⸺さてまた、どれほどまでに遠く離れているかを、見よ。

しかしながら、すなわち、法(真理)を証知して、法(真理)を了知して、賢者としてあり、そして、無風の湖のように、動揺〔の思い〕なく、〔心が〕止み静まるなら⸺

彼が⸺動揺なき者が、動揺なき者にとって、さらに、涅槃に到達した者が、涅槃に到達した者にとって、貪求なき者が、貪求を離れた者にとって⸺さてまた、どれほどまでに現前にあるかを、見よ」と。

この義(道理)もまた、世尊によって説かれ、かくのごとく、わたしは聞きました。ということで、〔以上が〕第三となる。

注釈【0】