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翻訳【16】

マハーリの経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ヴェーサーリーに住んでおられます。マハー林の楼閣堂において。そこで、まさに、リッチャヴィ〔族〕のマハーリが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、リッチャヴィ〔族〕のマハーリは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、まさに、世尊によって見られましたか(帝釈天を見たことがありますか)」と。

「マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、まさに、わたしによって見られました」と。

「尊き方よ、まさに、その者は、まちがいなく、帝釈〔天〕のそれらしい形態をした〔偽物〕として有るのです。尊き方よ、まさに、見難きは、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕です」と。

「マハーリよ、まさに、わたしは覚知します⸺そして、帝釈〔天〕を、さらに、帝釈〔天の境遇〕を作り為す諸々の法(性質)を。それらの法(性質)が受持されたことから、帝釈〔天〕は、帝釈〔天〕たる〔境遇〕に到達したのです。そして、それを、〔わたしは〕覚知します。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、過去において、人間として有り、〔世に〕存しているとき、都(プラ)において、布施(ダーナ)を施しました(アダーシ)。それゆえに、『プリンダダ(都において施す者)』と呼ばれます。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、過去において、人間として有り、〔世に〕存しているとき、恭しく(サッカッチャ)、布施を施しました。それゆえに、『帝釈〔天〕(サッカ)』と呼ばれます。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、過去において、人間として有り、〔世に〕存しているとき、居住所(アーヴァサタ)を施しました。それゆえに、『ヴァーサヴァ』と呼ばれます。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、千(サハッサ)の義(アッタ)でさえも、寸時に思い考えます。それゆえに、『千の眼ある者(サハッサッカ)』と呼ばれます。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕には、スジャーという名の、阿修羅の少女が、夫人としてあります。それゆえに、『スジャーの夫』と呼ばれます。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、三十三天〔の神々〕たちの権力者にして君主たる王権を為します。それゆえに、『天〔の神々〕たちのインダ』と呼ばれます。

マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕が、過去において、人間として有ったとき、完全なるものとして受持された、七つの掟の句が有りました。それらが受持されたことから、帝釈〔天〕は、帝釈〔天〕たる〔境遇〕に到達したのです。どのようなものが、七つの掟の句なのですか。どのようなものが、七つの掟の句なのですか。『(1)生あるかぎり、母と父を養う者として存するのだ。(2)生あるかぎり、家における最尊者を敬う者として存するのだ。(3)生あるかぎり、優しい言葉の者として存するのだ。(4)生あるかぎり、中傷の言葉なき者として存するのだ。(5)生あるかぎり、物惜の垢を離れ去った心で家に居住するのだ⸺施捨を解き放ち、〔布施のために〕手を洗い清め、放棄を喜び、乞いに応じ、布施と分与を喜ぶ者として。(6)生あるかぎり、真理を説く者として存するのだ。(7)生あるかぎり、忿激しない者として存するのだ。それで、もし、また、わたしに、忿激〔の思い〕が生起するなら、それを、まさしく、すみやかに取り除くのだ』と。マハーリよ、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕が、過去において、人間として有ったとき、完全なるものとして受持された、これらの七つの掟の句が有りました。それらが受持されたことから、帝釈〔天〕は、帝釈〔天〕たる〔境遇〕に到達したのです」と。

〔世尊が、詩偈に言う〕「母と父を養う人を、家における最尊者を敬う者を、優しく友誼の会話ある者を、中傷〔の言葉〕を捨棄する者を⸺

物惜〔の思い〕を取り除くことに専念する者を、真理の者を、忿激〔の思い〕を征服する人を、彼を、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、『正なる人士』と言う」と。

注釈【1】