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翻訳【19】

知恵の基盤の経

サーヴァッティーに……略……。「比丘たちよ、四十四の知恵の基盤を、あなたたちに説示しましょう。それを聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

「比丘たちよ、どのようなものが、四十四の知恵の基盤なのですか。老と死についての知恵であり、老と死の集起についについての知恵であり、老と死の止滅についての知恵であり、老と死の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵であり、生についての知恵であり、生の集起についについての知恵であり、生の止滅についての知恵であり、生の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵であり、生存についての知恵であり、生存の集起についについての知恵であり、生存の止滅についての知恵であり、生存の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵であり、執取についての知恵であり、執取の集起についについての知恵であり、執取の止滅についての知恵であり、執取の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵であり、渇愛についての知恵であり、渇愛の集起についについての知恵であり、渇愛の止滅についての知恵であり、渇愛の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵であり、感受についての知恵であり、感受の集起についについての知恵であり、感受の止滅についての知恵であり、感受の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵であり、接触についての知恵であり……略……六つの〔認識の〕場所についての知恵であり……名前と形態についての知恵であり……識知〔作用〕についての知恵であり……諸々の形成〔作用〕についての知恵であり、諸々の形成〔作用〕の集起についについての知恵であり、諸々の形成〔作用〕の止滅についての知恵であり、諸々の形成〔作用〕の止滅に至る〔実践の〕道についての知恵です。比丘たちよ、これらは、四十四の知恵の基盤と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、老と死なのですか。すなわち、それぞれの有情たちの、それぞれの有情の部類における、老、老いること、〔歯が〕破断すること、白髪になること、皺が寄ること、寿命の退失、諸々の機能の完熟は、これは、老と説かれます。すなわち、それぞれの有情たちの、それぞれの有情の部類からの、死滅、死滅すること、〔身体の〕破壊、消没すること、死魔〔との遭遇〕、死、命終、諸々の〔心身を構成する〕範疇の破壊、死体の捨置は、これは、死と説かれます。かくのごとく、そして、この老は、さらに、この死は、比丘たちよ、これは、老と死と説かれます。

生の集起あることから、老と死の集起があります。生の止滅あることから、老と死の止滅があります。まさしく、この、聖なる八つの支分ある道は、老と死の止滅に至る〔実践の〕道です。それは、すなわち、この、正しい見解であり……略……正しい禅定です。

比丘たちよ、すなわち、まさに、聖なる弟子が、このように、老と死を覚知することから、このように、老と死の集起を覚知することから、このように、老と死の止滅を覚知することから、このように、老と死の止滅に至る〔実践の〕道を覚知することから、彼には、この、法(性質)についての知恵があります。彼は、この法(性質)によって⸺〔あるがままに〕見られ〔あるがままに〕知られた〔法〕によって、時を要さずに至り得られ深解された〔法〕によって⸺過去と未来についての理趣(方法・道理)を導きます。

まさに、彼らが誰であれ、過去の時に、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、老と死を証知したなら、老と死の集起を証知したなら、老と死の止滅を証知したなら、老と死の止滅に至る〔実践の〕道を証知したなら、彼らの全てが、まさしく、このように証知しました⸺それは、すなわち、また、今現在、わたしが〔証知するように〕

まさに、また、彼らが誰であれ、未来の時に、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、老と死を証知するであろうなら、老と死の集起を証知するであろうなら、老と死の止滅を証知するであろうなら、老と死の止滅に至る〔実践の〕道を証知するであろうなら、彼らの全てが、まさしく、このように証知するでしょう⸺それは、すなわち、また、今現在、わたしが〔証知するように〕。かくのごとく、彼には、この、類推についての知恵があります。

比丘たちよ、すなわち、まさに、聖なる弟子には、これらの二つの知恵が、完全なる清浄にして完全なる清白と成ることから、比丘たちよ、この者は、聖なる弟子として、『〔正しい〕見解を成就した者』ともまた〔説かれ〕、『見を成就した者』ともまた〔説かれ〕、『この正なる法(教え)に精通した者』ともまた〔説かれ〕、『この正なる法(教え)を見る』ともまた〔説かれ〕、『学びの知恵を具備した者』ともまた〔説かれ〕、『学びの明知を具備した者』ともまた〔説かれ〕、『法(真理)の流れを成就した者』ともまた〔説かれ〕、『聖なる洞察の智慧ある者』ともまた〔説かれ〕、『不死の門を叩いて立つ』ともまた説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、生なのですか。……略……。比丘たちよ、では、どのようなものが、生存なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、執取なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、渇愛なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、感受なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、接触なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、六つの〔認識の〕場所なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、名前と形態なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、識知〔作用〕なのですか。……。比丘たちよ、では、どのようなものが、諸々の形成〔作用〕なのですか。比丘たちよ、これらの三つの形成〔作用〕があります。身体の形成〔作用〕であり、言葉の形成〔作用〕であり、心の形成〔作用〕です。比丘たちよ、これらは、諸々の形成〔作用〕と説かれます。

無明の集起あることから、諸々の形成〔作用〕の集起があります。無明の止滅あることから、諸々の形成〔作用〕の止滅があります。まさしく、この、聖なる八つの支分ある道は、諸々の形成〔作用〕の止滅に至る〔実践の〕道です。それは、すなわち、この、正しい見解であり……略……正しい禅定です。

比丘たちよ、すなわち、まさに、聖なる弟子が、このように、諸々の形成〔作用〕を覚知することから、このように、諸々の形成〔作用〕の集起を覚知することから、このように、諸々の形成〔作用〕の止滅を覚知することから、このように、諸々の形成〔作用〕の止滅に至る〔実践の〕道を覚知することから、彼には、この、法(性質)についての知恵があります。彼は、この法(性質)によって⸺〔あるがままに〕見られ〔あるがままに〕知られた〔法〕によって、時を要さずに至り得られ深解された〔法〕によって⸺過去と未来についての理趣を導きます。

まさに、彼らが誰であれ、過去の時に、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、諸々の形成〔作用〕を証知したなら、諸々の形成〔作用〕の集起を証知したなら、諸々の形成〔作用〕の止滅を証知したなら、諸々の形成〔作用〕の止滅に至る〔実践の〕道を証知したなら、彼らの全てが、まさしく、このように証知しました⸺それは、すなわち、また、今現在、わたしが〔証知するように〕

まさに、また、彼らが誰であれ、未来の時に、あるいは、沙門たちが、あるいは、婆羅門たちが、諸々の形成〔作用〕を証知するであろうなら、諸々の形成〔作用〕の集起を証知するであろうなら、諸々の形成〔作用〕の止滅を証知するであろうなら、諸々の形成〔作用〕の止滅に至る〔実践の〕道を証知するであろうなら、彼らの全てが、まさしく、このように証知するでしょう⸺それは、すなわち、また、今現在、わたしが〔証知するように〕。彼には、この、類推についての知恵があります。

比丘たちよ、すなわち、まさに、聖なる弟子には、これらの二つの知恵が、完全なる清浄にして完全なる清白と成ることから、比丘たちよ、この者は、聖なる弟子として、『〔正しい〕見解を成就した者』ともまた〔説かれ〕、『見を成就した者』ともまた〔説かれ〕、『この正なる法(教え)に精通した者』ともまた〔説かれ〕、『この正なる法(教え)を見る』ともまた〔説かれ〕、『学びの知恵を具備した者』ともまた〔説かれ〕、『学びの明知を具備した者』ともまた〔説かれ〕、『法(真理)の流れを成就した者』ともまた〔説かれ〕、『聖なる洞察の智慧ある者』ともまた〔説かれ〕、『不死の門を叩いて立つ』ともまた説かれます」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【1】