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翻訳【19】

三つの時の無我の経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、過去と未来の形態は、無我です。現在のばあいは、また、何の論があるというのでしょう。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、過去の形態について期待なき者と成り、未来の形態に愉悦せず、現在の形態の、厭離のために、離貪のために、止滅のために、実践する者と成ります。過去と未来の感受〔作用〕は、無我です。……。過去と未来の表象〔作用〕は、無我です。……。過去と未来の諸々の形成〔作用〕は、無我です。……。過去と未来の識知〔作用〕は、無我です。現在のばあいは、また、何の論があるというのでしょう。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、過去の識知〔作用〕について期待なき者と成り、未来の識知〔作用〕に愉悦せず、現在の識知〔作用〕の、厭離のために、離貪のために、止滅のために、実践する者と成ります」と。〔以上が〕第十一となる。

ナクラピタルの章が第一となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「ナクラピタル、デーヴァダハ、そして、また、二つのハーリッディカーニ、禅定、静坐、二つの〔何かに〕執取して、〔何かに〕思い悩むこと、〔三つの〕過去と未来と現在があり、それによって、章と呼ばれる」と。

注釈【0】