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翻訳【16】

第二の苦しみの生起の経

「比丘たちよ、それが、諸々の形態の、生起であり、止住であり、発現であり、出現であるなら、これは、苦しみの生起であり、諸々の病の止住であり、老と死の出現です。それが、諸々の音声の……略……。それが、諸々の臭気の……。それが、諸々の味感の……。それが、諸々の感触の……。それが、諸々の法(意の対象)の、生起であり、止住であり、発現であり、出現であるなら、これは、苦しみの生起であり、諸々の病の止住であり、老と死の出現です。

比丘たちよ、しかしながら、それが、まさに、諸々の形態の、止滅であり、寂止であり、滅至であるなら、これは、苦しみの止滅であり、諸々の病の寂止であり、老と死の滅至です。それが、諸々の音声の……略……。それが、諸々の臭気の……。それが、諸々の味感の……。それが、諸々の感触の……。それが、諸々の法(意の対象)の、止滅であり、寂止であり、滅至であるなら、これは、苦しみの止滅であり、諸々の病の寂止であり、老と死の滅至です」と。〔以上が〕第十となる。

対なるものの章が第二となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「正覚によって、二つのものが説かれ、悦楽によって、他に、二つのものが〔説かれ〕、『もし、〔悦楽が〕なく』があり、それによって、二つのものが説かれ、愉悦によって、他に、二つのものが〔説かれ〕、生起によって、二つのものが説かれ、それによって、章と呼ばれる」と。

注釈【0】