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翻訳【19】

百八の経

「比丘たちよ、百八の教相を、法(教え)の教相として、あなたたちに説示しましょう。それを聞きなさい。比丘たちよ、では、どのようなものが、百八の教相であり、法(教え)の教相なのですか。比丘たちよ、二つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。三つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。五つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。六つの感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。十八の感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。三十六の感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。百八の感受もまた、わたしによって説かれました⸺教相〔の観点〕によって。比丘たちよ、このように、まさに、わたしによって、法(教え)が、教相〔の観点〕によって説示されました。比丘たちよ、では、どのようなものが、二つの感受なのですか。そして、身体の属性としてのものであり、さらに、心の属性としてのものです。比丘たちよ、これらは、二つの感受と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、三つの感受なのですか。安楽の感受であり、苦痛の感受であり、苦でもなく楽でもない感受です。比丘たちよ、これらは、三つの感受と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、五つの感受なのですか。安楽の機能であり、苦痛の機能であり、悦意の機能であり、失意の機能であり、放捨の機能です。比丘たちよ、これらは、五つの感受と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、六つの感受なのですか。眼の接触から生じる感受であり……略……意の接触から生じる感受です。比丘たちよ、これらは、六つの感受と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、十八の感受なのですか。六つの悦意の細かい想念であり、六つの失意の細かい想念であり、六つの放捨の細かい想念です。比丘たちよ、これらは、十八の感受と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、三十六の感受なのですか。六つの家〔の生活〕に依拠した悦意であり、六つの離欲に依拠した悦意であり、六つの家〔の生活〕に依拠した失意であり、六つの離欲に依拠した失意であり、六つの家〔の生活〕に依拠した放捨であり、六つの離欲に依拠した放捨です。比丘たちよ、これらは、三十六の感受と説かれます。比丘たちよ、では、どのようなものが、百八の感受なのですか。過去の三十六の感受であり、未来の三十六の感受であり、現在の三十六の感受です。比丘たちよ、これらは、百八の感受と説かれます。比丘たちよ、これは、百八の教相であり、法(教え)の教相です」と。〔以上が〕第二となる。

注釈【1】