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翻訳【15】

過去の経

サーヴァッティーの因縁となります。「比丘たちよ、正覚より、まさしく、過去において、〔いまだ〕現正覚していない、まさしく、菩薩として存しているわたしに、この〔思い〕が有りました。『いったい、まさに、何を因として、何を縁として、神通の足場の修行のためになるのか』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『ここに、比丘が、欲〔の思い〕の禅定と精励の形成〔作用〕を具備した神通の足場を修める。かくのごとく、「わたしの欲〔の思い〕は、そして、極めて畏縮したものと成らないであろうし、さらに、極めて励起したものと成らないであろうし、そして、内に退縮したものと成らないであろうし、さらに、外に散乱したものと成らないであろう」〔と〕。そして、後と前の表象ある者として〔世に〕住む。「すなわち、前にあるように、そのように、後に〔あるであろう〕。すなわち、後にあるように、そのように、前に〔あるであろう〕。すなわち、下にあるように、そのように、上に〔あるであろう〕。すなわち、上にあるように、そのように、下に〔あるであろう〕。すなわち、昼にあるように、そのように、夜に〔あるであろう〕。すなわち、夜にあるように、そのように、昼に〔あるであろう〕〔と〕。かくのごとく、開かれた心で、覆い包まれていない〔心〕で、光を有する心を修める。

精進の禅定と精励の形成〔作用〕を具備した神通の足場を修める。かくのごとく、「わたしの精進は、そして、極めて畏縮したものと成らないであろうし、さらに、極めて励起したものと成らないであろうし、そして、内に退縮したものと成らないであろうし、さらに、外に散乱したものと成らないであろう」〔と〕。そして、後と前の表象ある者として〔世に〕住む。「すなわち、前にあるように、そのように、後に〔あるであろう〕。すなわち、後にあるように、そのように、前に〔あるであろう〕。すなわち、下にあるように、そのように、上に〔あるであろう〕。すなわち、上にあるように、そのように、下に〔あるであろう〕。すなわち、昼にあるように、そのように、夜に〔あるであろう〕。すなわち、夜にあるように、そのように、昼に〔あるであろう〕〔と〕。かくのごとく、開かれた心で、覆い包まれていない〔心〕で、光を有する心を修める。

心の禅定と精励の形成〔作用〕を具備した神通の足場を修める。かくのごとく、「わたしの心は、そして、極めて畏縮したものと成らないであろうし、さらに、極めて励起したものと成らないであろうし、そして、内に退縮したものと成らないであろうし、さらに、外に散乱したものと成らないであろう」〔と〕。そして、後と前の表象ある者として〔世に〕住む。「すなわち、前にあるように、そのように、後に〔あるであろう〕。すなわち、後にあるように、そのように、前に〔あるであろう〕。すなわち、下にあるように、そのように、上に〔あるであろう〕。すなわち、上にあるように、そのように、下に〔あるであろう〕。すなわち、昼にあるように、そのように、夜に〔あるであろう〕。すなわち、夜にあるように、そのように、昼に〔あるであろう〕〔と〕。かくのごとく、開かれた心で、覆い包まれていない〔心〕で、光を有する心を修める。

考察の禅定と精励の形成〔作用〕を具備した神通の足場を修める。かくのごとく、「わたしの考察は、そして、極めて畏縮したものと成らないであろうし、さらに、極めて励起したものと成らないであろうし、そして、内に退縮したものと成らないであろうし、さらに、外に散乱したものと成らないであろう」〔と〕。そして、後と前の表象ある者として〔世に〕住む。「すなわち、前にあるように、そのように、後に〔あるであろう〕。すなわち、後にあるように、そのように、前に〔あるであろう〕。すなわち、下にあるように、そのように、上に〔あるであろう〕。すなわち、上にあるように、そのように、下に〔あるであろう〕。すなわち、昼にあるように、そのように、夜に〔あるであろう〕。すなわち、夜にあるように、そのように、昼に〔あるであろう〕〔と〕。かくのごとく、開かれた心で、覆い包まれていない〔心〕で、光を有する心を修める。

このように、まさに、四つの神通の足場が修められ、このように多く為されたとき、比丘は、無数〔の流儀〕に関した〔種々なる〕神通の種類を体現する。一なる者としてもまた有って、多種なる者と成る。多種なる者としてもまた有って、一なる者と成る。明現状態と〔成る〕。超没状態と〔成る〕。壁を超え、垣を超え、山を超え、着することなく赴く⸺それは、たとえば、また、虚空にあるかのように。地のなかであろうが、出没することを為す⸺それは、たとえば、また、水にあるかのように。水のうえであろうが、沈むことなく赴く⸺それは、たとえば、また、地にあるかのように。虚空においてもまた、結跏で進み行く⸺それは、たとえば、また、翼ある鳥のように。このように大いなる神通があり、このように大いなる威力がある、これらの月と日をもまた、手でもって、撫でまわし、擦りまわす。梵の世に至るまでもまた、身体によって自在に転起させる。

このように、まさに、四つの神通の足場が修められ、このように多く為されたとき、比丘は、人間を超越した清浄の天耳の界域によって、そして、天〔の神々〕たちの、さらに、人間たちの、両者の音声を聞く⸺それらが、遠方にあるも、さらに、現前にあるも、かくのごとく。

このように、まさに、四つの神通の足場が修められ、このように多く為されたとき、比丘は、他の有情たちの〔心を〕、他の人たちの心を、〔自らの〕心をとおして探知して、覚知する。あるいは、貪欲を有する心を、「貪欲を有する心である」と覚知する。あるいは、貪欲を離れた心を、「貪欲を離れた心である」と覚知する。あるいは、憤怒を有する心を、「憤怒を有する心である」と覚知する。あるいは、憤怒を離れた心を、「憤怒を離れた心である」と覚知する。あるいは、迷妄を有する心を、「迷妄を有する心である」と覚知する。あるいは、迷妄を離れた心を、「迷妄を離れた心である」と覚知する。あるいは、退縮した心を、「退縮した心である」と覚知する。あるいは、散乱した心を、「散乱した心である」と覚知する。あるいは、莫大なる心を、「莫大なる心である」と覚知する。あるいは、莫大ならざる心を、「莫大ならざる心である」と覚知する。あるいは、有上なる心を、「有上なる心である」と覚知する。あるいは、無上なる心を、「無上なる心である」と覚知する。あるいは、定められた心を、「定められた心である」と覚知する。あるいは、定められていない心を、「定められていない心である」と覚知する。あるいは、解脱した心を、「解脱した心である」と覚知する。あるいは、解脱していない心を、「解脱していない心である」と覚知する。

このように、まさに、四つの神通の足場が修められ、このように多く為されたとき、比丘は、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念する。それは、すなわち、この、一生をもまた、二生をもまた、三生をもまた、四生をもまた、五生をもまた、十生をもまた、二十生をもまた、三十生をもまた、四十生をもまた、五十生をもまた、百生をもまた、千生をもまた、百千生をもまた、無数の展転されたカッパ壊劫:世界が拡散し崩壊する期間)をもまた、無数の還転されたカッパ成劫:世界が収縮し再生する期間)をもまた、無数の展転され還転されたカッパをもまた。「〔わたしは〕某所では〔このように〕存していた⸺このような名の者として、このような姓の者として、このような色(色艶・階級)の者として、このような食の者として、このような楽と苦の得知ある者として、このような寿命を極限とする者として。その〔わたし〕は、その〔某所〕から死滅し、某所に生起した。そこでもまた、〔このように〕存していた⸺このような名の者として、このような姓の者として、このような色の者として、このような食の者として、このような楽と苦の得知ある者として、このような寿命を極限とする者として。その〔わたし〕は、その〔某所〕から死滅し、ここ(現世)に再生したのだ」と、かくのごとく、行相を有し、素性を有する、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念する。

このように、まさに、四つの神通の足場が修められ、このように多く為されたとき、比丘は、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見る。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇善趣の者たちとして、悪しき境遇悪趣の者たちとして⸺〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知する。「まさに、これらの尊き有情たちは、身体による悪しき行ないを具備し、言葉による悪しき行ないを具備し、意による悪しき行ないを具備し、聖者たちを批判する者たちであり、誤った見解ある者たちであり、誤った見解と行為を受持する者たちである。彼らは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生したのだ。また、あるいは、これらの尊き有情たちは、身体による善き行ないを具備し、言葉による善き行ないを具備し、意による善き行ないを具備し、聖者たちを批判しない者たちであり、正しい見解ある者たちであり、正しい見解と行為を受持する者たちである。彼らは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したのだ」と、かくのごとく、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見る。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇の者たちとして、悪しき境遇の者たちとして⸺〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知する。

このように、まさに、四つの神通の足場が修められ、このように多く為されたとき、比丘は、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住む』」と。〔以上が〕第一となる。

注釈【1】