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翻訳【20】

内なる〔認識の〕場所の経

「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの聖なる真理です。どのようなものが、四つのものなのですか。苦しみという聖なる真理であり、苦しみの集起という聖なる真理であり、苦しみの止滅という聖なる真理であり、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道という聖なる真理です。

比丘たちよ、では、どのようなものが、苦しみという聖なる真理なのですか。『六つの内なる〔認識の〕場所六内処』と説かれるべきものが存在します。どのようなものが、六つのものなのですか。眼の〔認識の〕場所であり、耳の〔認識の〕場所であり、鼻の〔認識の〕場所であり、舌の〔認識の〕場所であり、身の〔認識の〕場所であり、意の〔認識の〕場所です。比丘たちよ、これは、苦しみという聖なる真理と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、苦しみの集起という聖なる真理なのですか。すなわち、この、さらなる生存あるものであり、愉悦と貪欲を共具したものであり、そこかしこに愉悦〔の思い〕ある、渇愛です。それは、すなわち、この、欲望の渇愛であり、生存の渇愛であり、非生存の渇愛です。比丘たちよ、これは、苦しみの集起という聖なる真理と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、苦しみの止滅という聖なる真理なのですか。すなわち、まさしく、その渇愛の、残りなき離貪と止滅であり、施捨であり、放棄であり、解放であり、〔生存の〕基底なき〔状態〕です。比丘たちよ、これは、苦しみの止滅という聖なる真理と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道という聖なる真理なのですか。まさしく、この、聖なる八つの支分ある道です。それは、すなわち、この、正しい見解であり……略……正しい禅定です。比丘たちよ、これは、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道という聖なる真理と説かれます。比丘たちよ、まさに、これらの四つの聖なる真理があります。

比丘たちよ、それゆえに、ここに、『これは、苦しみである』と、〔心の〕制止が為されるべきであり……略……『これは、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道である』と、〔心の〕制止が為されるべきです」と。〔以上が〕第四となる。

注釈【0】