読み込み中

翻訳【17】

娘多き者の経

或る時のことです。世尊は、コーサラ〔国〕に住んでおられます。或るどこかの密林において。また、まさに、その時点にあって、或るひとりのバーラドヴァージャ姓の婆羅門の十四の荷牛が、消失するところと成ります。そこで、まさに、バーラドヴァージャ姓の婆羅門は、それらの十四の荷牛を探し求めながら、その密林のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊が、その密林において、結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて、坐っているのを見ました。見て、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊の現前において、これらの詩偈を語りました。

〔婆羅門が、詩偈に言う〕「まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『十四の荷牛が、今日で第六〔日〕となるのに、〔まだ〕見つからない』〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ。

まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『諸々の胡麻が、田畑に〔蒔かれるも〕、悪しきものにして、一葉のものか、かつまた、二葉のもの〔ばかり〕〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ。

まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『鼠たちが、虚しき貯蔵庫のなか、勇ましく舞い踊る』〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ。

まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『敷物が、七つの月が過ぎ、蚤たちに等しく覆われている』〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ。

まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『七者の娘たちが、寡婦となり、一子の者か、かつまた、二子の者〔ばかり〕〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ。

まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『褐色となり斑点だらけになった〔妻〕が、眠っている〔わたし〕を、足で目覚めさせる』〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ。

まさに、まちがいなく、この沙門にはない。『債権者たちが、早朝に〔やってきて〕、「〔金を〕よこせ」「〔金を〕よこせ」と催促する』〔と嘆き悲しむことが〕。それによって、この沙門は、安楽の者なのだ」と。

〔世尊が、詩偈に言う〕「婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『十四の荷牛が、今日で第六〔日〕となるのに、〔まだ〕見つからない』〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ。

婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『諸々の胡麻が、田畑に〔蒔かれるも〕、悪しきものにして、一葉のものか、かつまた、二葉のもの〔ばかり〕〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ。

婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『鼠たちが、虚しき貯蔵庫のなか、勇ましく舞い踊る』〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ。

婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『敷物が、七つの月が過ぎ、蚤たちに等しく覆われている』〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ。

婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『七者の娘たちが、寡婦となり、一子の者か、かつまた、二子の者〔ばかり〕〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ。

婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『褐色となり斑点だらけになった〔妻〕が、眠っている〔わたし〕を、足で目覚めさせる』〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ。

婆羅門よ、まさに、わたしにはない。『債権者たちが、早朝に〔やってきて〕、「〔金を〕よこせ」「〔金を〕よこせ」と催促する』〔と嘆き悲しむことは〕。婆羅門よ、それによって、わたしは、安楽の者なのだ」と。

このように説かれたとき、バーラドヴァージャ姓の婆羅門は、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。貴君ゴータマよ、すばらしいことです。貴君ゴータマよ、それは、たとえば、また、あるいは、倒れたものを起こすかのように、あるいは、覆われたものを開くかのように、あるいは、迷う者に道を告げ知らせるかのように、あるいは、暗黒のなかで油の灯火を保つかのように、『眼ある者たちは、諸々の形態を見る』と、まさしく、このように、貴君ゴータマによって、無数の教相によって、法(真理)が明示されました。〔まさに〕この、わたしは、貴君ゴータマを帰依所に赴きます⸺そして、法(教え)を、さらに、比丘の僧団を。わたしが、貴君ゴータマの現前において、出家を得られますように⸺〔戒の〕成就を得られますように」と。

まさに、バーラドヴァージャ姓の婆羅門は、世尊の現前において、出家を得ました⸺〔戒の〕成就を得ました。また、〔戒を〕成就したばかりの尊者バーラドヴァージャは、独り、〔静所に〕隠棲し、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると、まさしく、長からずして⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました。「生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない」と証知しました。また、そして、尊者バーラドヴァージャは、阿羅漢たちのなかの或るひとりと成った、ということです。

阿羅漢の章が第一となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「そして、ダナンジャーニー、罵倒、アスリンダ、ビランギカ、アヒンサカ、まさしく、そして、ジャター、まさしく、さらに、スッディカ、アッギカ、スンダリカがあり、そして、娘多き者とともに、それらの十がある」と。

注釈【1】